在宅ひとり死

70歳以上に限ると、がんで死ぬか、心臓麻痺や脳梗塞で死ぬか、あるいは誤嚥性や感染症による肺炎で死ぬか、の3つにひとつ。

 

何ごともなく老衰となれば、ほとんど認知症を伴っている。

最近では、選べるならがんで死にたい、いうのが常識。

そんな思いのところに、家族のいないひとりでも、自分の家で死ねますという本が現れた。

格好の手引書といってもいい。

 

「小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?」(朝日新聞出版)。

上野千鶴子の質問に応える形で、次々と眼からうろこの解決処方を提示してくれている。

答えているのは小笠原文雄(ぶんゆう)医師。

48年生まれで、岐阜県羽島市で開業している。

ぶんゆうと読ませることでわかるがお寺の住職でもある。

坊さんだからというわけではないが、事にあたっての柔軟さは説得力があり、なるほどと思わせる。

例えば、夜間セデーション。

痛みや急変を心配してまんじりともできない夜の不安が解消される。

「今日の治療指針2012」で認められている方法で、睡眠薬の力を借りて夜間は深い眠りに入り、朝が来る頃に薬の力が切れて自然と眼が覚める。

眠っている最中に亡くなる場合もあるが、その原因はセデーションにあるのではなく病状の変化による、とあきらめなさいといっている。

これなら夜間に看護や介護の人を煩わせることも必要ない。

 

これに尿道留置カテーテルを挿入すれば、鬼に金棒?となって、夜8時間余の安らかな睡眠が得られる。
過剰医療だ、おむつ交換の手間をかけないケアは非人道的、家族ならおむつ交換できてあたり前と批判する声もあるが、おひとりさまにとって贅沢はいえない。これならひとりで死ねる、というものだ。

 

 

もうひとつ、在宅ホスピス緩和ケアを選択すれば救急車を呼んではいけない。

もし病院に運ばれたならば、本人の意思とは関係なく、死を回避するあらゆる延命治療が強制的に行われていく。

最期は自宅で穏やかにという希望とは裏腹に、呼吸が止まっていたら人工呼吸器が付けられ、過酷な闘病生活を送らなければならない。

救急車を呼ぶな!

かかりつけ医か訪問看護師に連絡するという意思を明確に周囲に伝えておき、万一救急車を呼んだ場合は、救急隊員に正直に謝り、帰ってもらうことである。

 

「在宅ひとり死」は孤独死ではなく、「希望死・満足死・納得死」であるという説得が何となく胸にすとんと落ちていく。

ぜひ読んでほしい。(K)