新年明けましておめでとうございます。
年々身体と思考の衰えを感じておりますが、
今年は
個人的には
1.本の出版
2.自分の頭の中の整理
3.次世代へ繋ぐ取り組み
法人としては
1.ものがたり行動指針作成
2.新しい事業の開始
3.次世代への継承
全力で取り組みます。
皆さんのご声援よろしくお願いします。
医療法人社団ナラティブホーム理事長
一般社団法人ものがたりの街代表理事
特定非営利活動法人ものがたり倶楽部理事長
佐藤伸彦
ひとりひとりの「物語」を大切にした砺波にある家庭のような高齢者専門の医療機関
新年明けましておめでとうございます。
年々身体と思考の衰えを感じておりますが、
今年は
個人的には
1.本の出版
2.自分の頭の中の整理
3.次世代へ繋ぐ取り組み
法人としては
1.ものがたり行動指針作成
2.新しい事業の開始
3.次世代への継承
全力で取り組みます。
皆さんのご声援よろしくお願いします。
医療法人社団ナラティブホーム理事長
一般社団法人ものがたりの街代表理事
特定非営利活動法人ものがたり倶楽部理事長
佐藤伸彦
このような質問(意見)が多い。
まずは施設としての態度/姿勢の問題があるようです。
あとは、どのようにして最終章のケアの職員教育システムを作るかでしょうか。
個別の質問にお答えするQ&A作成中です!
「教育」の教、教える部分は講師でも教科書的なものでも可能でしょう。
問題はそこから「教育」の育、育てるというところが大事なところなのかなぁーと思っています。
頭でわかっても(教えられても)、実際の現場でどうやって行くのか(育てて行くのか)です。
ここも組織全体で取り組んでいただきたいところです。
(佐藤)
不安、怖い、わからない
多職種連携、情報共有、何度も何度も繰り返されるが、内実が見えてこない。
何故できないのか?システムの問題なのか。
みなさん、安心して人を信頼するには何が必要ですか?
顔が見える関係とよく言われますが、施設であれば、毎日のように顔を合わせているわけだし、特養であれば嘱託医の顔は週に一回は見ているでしょう。
人を信頼するには二つの事が必要で、そのバランスを取れる人かどうかではないでしょうか。
一つ目は、「知識/技術」
専門職としてまずは必要な事です。
専門知識があやふやでは困る。
介護福祉士であれば、オムツ交換、体位変換、移乗介助など、看護師であれば採血や点滴の技術、バルーンの挿入技術などがきちんとできないければ、本当の意味での信頼は得られない。
二つ目は、「人柄/人間性」
どんなに知識や技術があっても、人と人が接するという職業である以上必要なものはその人の態度や姿勢である。
医療なんてわからない、私の仕事じゃない、ムリ、怖い、不安などの連呼では、連携はできない。
知識/技術そして人柄/人間性を高める努力をしてほしい。
今自分に足りないものは、相手に足りないものは、ちょっと考えてちょっと頑張って見ませんか。
そんな研修にしましょう。
(佐藤)
■栄養と水分摂取の問題
医師になりたての頃は、最後まで点滴をするのが常識。多くの方が最後の時期に全身がむくみ、痰や分泌物が喉のところでゴロゴロという音を立てていました。
大量の点滴を毎日のようにすることで、心臓はその入ってきた水を処理できずに、肺に水が溜まり、呼吸が苦しくなることも起きていた。
そんな対応をしていた時期が少なからずある。
それは「溺れて死ぬ」と表現されていました。
今は、その反省もあり、終末期にはあまり点滴を積極的にはしなくなってきている。(それでもまだまだ大量の点滴をしていることの話はきく)。
それを「枯れるように死ぬ」と表現されるかたもいますがあまり好きではない。
最後の時間の経口摂取の問題は、家族やスタッフにどのような言葉でその内容を語るのかが重要なのです。
点滴する・しないの二項対立ではない
溺れて死ぬのでも、枯れて死ぬのでもない。
助からない、最期の時間をどうすれば安楽に過ごすことができるか、それを全員が真剣に考えることです。
少量の点滴が必要の時もあれば、何もしない時が良いこともある。
食事が1日でも取れないと、不安、心配、どうしたらいいかわからないが増えてきます。
点滴、「でも」、しないといけないのではないかという思いが起きてくるのも致し方ないが、ケアに関わるものとしてはもう一歩考えていただきたい。
Q&Aを15年も前に作ったのですが、少し修正して添付します。
今なら少しは読んでもらえるでしょうか。15年前は即ゴミ箱行きでした!!
(佐藤)
不安、怖い、わからない
家族とのことは意外と多かった意見です。
家族の人とどう接して良いのかわからない。
家族に「看護師を呼べ」と言われた時が怖い。
関わりの少ない家族にどう対応すればいいのかわからない。
最後の時、他のスタッフ(看護師、医師)が来る前に家族の人が到着するとどう説明をすればいいのかわからず、怖い。
家族の意向と本人の意向が違う場合はどちらの意見を聞けばいいのかわからない。
最期は病院でと思っている家族が実際には多い
等々が続く。
家族との対応も大きな問題となっているようです。
日本では家族もまた当事者であることが多いのですが、家族が患者の最大の代弁者だとは限らない。私たちのスタンスはどうあるべきか。一度は考えなくてはいけない問題です。
これも一つ一つ真摯に答えていこうと思います。
(佐藤)
介護福祉士—看護師—医師間の連携…という負の“連鎖”がある。
介護福祉士は一人夜勤の時、いつ看護師に連絡していいのかそのタイミングがわからないという。
看護師もまた、いつ医師に連絡していいのかそのタイミングがわからないという。
真面目な方の多い医療介護職の方によく見られる、相手に対して申し訳ない、責任を果たせないという理由もわかる。
一方で怒られるのが怖いというものが少なからずある。
「こんな状態でなんで連絡してきたの?もっと悪くなってから連絡して」
「どうしてこんな状態になるまで放っておいたの、もっと早く連絡して」
どうして、何で、勘弁してよ・・・、そんな言葉に皆がビクビクしている。
介護士は看護師に、看護師は医師に怒られることを恐れて怯える。
そこに組織の上司が出てきて、延々とお説教を言い出すともう立ち直れない。
何でも偉そうに言っているように見えるその医師もまた、急性期病院に患者さんを搬送するとき、搬送先の医師から、「一体何が目的ですか?」「心肺蘇生(DNAR)はしなくていいのですね」など厳しく指摘され落ち込むかムッとする。そして入院先の医師も「何でこんな人を入院させたんだ」、「退院先は決まっているのか」など病院側からは早く出すようにと圧力がかかる。
こうして、多職種が負のスパイラルに巻き込まれていく。
責任を逃れたい不安が蔓延しているとしたらそれは断ち切らなくてはならない。
(佐藤)
介護職のための最終章ケア
キーワードは
「怖い」「不安」「わからない」
100%人は死ぬ、誰にでも訪れること、そのような説明ではどうも腑に落ちない人が多い。
私も素直に考えてみました。
そう、私だって人が死ぬ/死んでいるのは怖い。
夜に仕事が終わって帰ろうと車に乗ったら助手席に人が座っていて呼吸も心臓も止まっていたら—それは怖いこわい!
人の死は誰でも怖い。
いつ亡くなるかわからない状態で一晩過ごすのは、不安だし、怖いし、何か状況が変わればどうしていいかわからない。
何が怖いのか、何が不安なのか、何がわからないのか、たくさんのことを教えていただきました。
それに真摯に一つづつ答えていこうと思います。
連載でアップして行きます。
私なりのエンドオブライフ・ケアとは何かを考えてみます。
ご意見あれば遠慮なく!
(佐藤)
モノゴトが進む時には勢いがいる。あーでもない、こーでもないと思い悩むばかりでは進まない。
昨年の暮れに紹介した「東般若への移住」がとんでもない大きなプランとなって、実現しそうな雲行きになってきたのである。
庄東ケアトピアが誕生するかもしれない。
発端は富山YMCAフリースクールの加藤愛理子さんである。
自分の父親と旦那の両親を看るところを、ものがたり診療所庄東とディサービス「ぽぴー村」のある庄東地区に定めて空いている古民家を買い取ったのである。
それだけで終わらず、改築して全国で2例目となるケアラーズカフェを開く。
ケアラーとは家族などが無償で介護をする人をいい、そのカフェはそのケアラーを支援するためのもので、悩みを聞いて何とか解決策をみいだそうというもの。
ランチも提供し、夜は臨時的に居酒屋にもなる。
ケアラーだけでなく、呑ミラーもやって来そうだが、それでもいいという。
更に更にというべきか、それに呼応して、ポピー村の宮崎村長が程近いもうひとつの古民家を求めたのだ。
即断即決で仮契約をしてしまった。そこで老人の看取りをするお母さんの家を作るという。
この向こう見ずなふたり、この問題になると飽きることはない。
ひとり暮らし御用聞き、移送サービス、ミニショップ、観光案内も・・・・と夢は留まることなく、
「最期まで安心して生きられる庄東むらづくりプロジェクト」ができあがり、その連絡会議がスタートした。
その連絡会に29歳、30歳の若者が何と4人も参加してきた。
フリースクール出身の大工、風来坊、高岡でNPOを展開するもの、それぞれが夢を語りだしたのである。
どうもそこに東京大学の臨床倫理のプロジェクトも加わってきそうな感じで、全国区の注目地域になりそうなのである。この成り行き、ぜひ注目して見守ってほしい。
(K)
魔法のようなケア手法がフランスで行われているという。
毎日新聞8月29日の朝刊で、大熊由紀子・国際医療福祉大大学院教授が、国境を超えるユマニチュードとレポートしている。
ぜひ、紹介しておきたい。
まるで魔法のようでした。
千葉県にある特別養護老人ホーム。
丸2年間、ベッドから起き上がろうとしなかった90歳の女性が、実に楽しげに、歌いながら歩き始めたのです。
気位が高く職員が誘っても立腹するばかりだったその女性をわずか10分足らずで変えてしまったのは、フランス人男性のイブ・ジネストさん。
ロゼット・マレスコッティさんと共に30年余かけてつくりあげたケア体系「ユマニチュード」の創始者です。
ユマニチュードは、「ケアすることとは何か」という問いに始まる人間哲学に裏打ちされた150を超えるテクニックの集大成です。
母国フランスでは、400以上の病院やケアホームで利用され、スイス、ドイツ、カナダと国境も越えています。
秘密は、誰でも身につけることができるワザにあります。
例えば、見つめること、話しかけ続けること。前から静かに近づき、水平な視線で見つめて自己紹介し、これから何をするかを丁寧に説明します。
声は優しく、歌うように、静かに。
言葉には愛と尊敬を込めます。
最近、高齢者の入院が激増しています。
白い壁、白衣、体に差したチューブ類を抜かないようにと施される身体拘束。
高齢者は叫んだり、暴れたりしますが、それはスタッフを「暴力を振るう敵」と思い込むからです。
見つめたり話しかけたりするのがおろそかだと「あなたは存在しない」と言っているのと同じで、人としての関係が生まれません。
日本への紹介者、東京医療センター総合内科医長の本田美和子さんが「日本の患者さんにも応用できる」と確信したのは、入院中の80代の女性の変わりようを目の当たりにしたからでした。
1年近く、一言も発しなかった女性に、通訳を介してジネストさんが接すると、目を開き、「手を上げてください」と言うとその通りにしたばかりか「ありがとう」と言ったのです。
体験した看護師たちは「目に見えて患者さんが笑顔になるので、うれしくなります」「管を入れる必要が本当にあるのかを考えるようになりました」「つらいから辞めようと思わなくなりました」とこもごも言います。
ぜひ、急速に普及してほしい。(K)
お知らせでもあります。
わがスタッフが緩和ケア認定看護師の資格を取得しました。
砺波市では二人目です。
認定看護師とは、98年に日本看護協会によって制定された資格認定制度のひとつです。
認定看護師認定審査に合格し、ある特定の看護分野において、熟練した看護技術と知識を用いて、水準の高い看護実践のできる者をいいます。
その中でも緩和ケア認定看護師は、
(1)徹底した苦痛症状の緩和及び療養の場に応じた患者・家族のQOLの向上を図り、
(2)患者・家族のグリーフケアを行います。
通りいっぺんの説明ではこうなりますが、この道の先駆者である秋山正子さんは訪問看護師のあるべき姿をこういいます。
「自立した看護師として、医師ともフラットな関係の中で自分たちの専門性を活かした働きをすること。もちろん特に在宅であれば、自立性だけではなく協調性が必要です。いわばおとなであること」。
病棟の看護師であれば、いつもそばに医師がいて指示を受けられるが、在宅の場合は状態に変化があった時など、的確に判断し、医師に連絡を取らなければならない。
時には医師に、処方の選択肢を提案することだってあり得る。
もっというと、優秀な、それでいて気さくな看護師は、医師にとっても、患者にとっても鬼に金棒だということ。
そんな金棒看護師がわが法人に誕生したのです。
というわけで、うれしいニュースをお伝えしました。
(K)
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