「じいちゃん、あいそんなかろ?」「いつも畑しておられっが見とったから、あいそんないちゃ」。
7月6日特定健診を巡回診療として、砺波市栴檀山農村改善センターで行った。そこで交わされた会話である。このじいちゃんは最近連れ合いを亡くしている。「あいそんない」とは「さびしい」「ものたりない」という富山弁。そばで聞くわれわれにも、そのわびしさが伝わってくる。全員が顔見知りで、保険証を忘れたと聞けば、世話役が車で自宅まで取りにいってくれる。それでも受診者は昨年より少ない。亡くなったり、衰弱が一段と進み、来られなくなっているのだ。148世帯490人の村が、10年後どうなっているかは簡単に想像できる。富山市に代表される街中居住を推進するコンパクトシティ構想は、こんな集落の衰退に一層拍車をかけることは間違いない。
富山から車で20分、新緑の山あいを縫っての早朝ドライブだが実に気持ちがいい。宮崎駿の映画に出でくるような風景である。山すそに小さな畑があり、立ち葵がウエルカムといって立っているような気分だ。
ここでの楽しみは仕事を終えてから、「清水そばそば峠」に立ち寄ること。午前11時から午後2時までの営業で、おばちゃんたちが自らそばを打っている。限定の「十割そば」(1000円)もうまいが、「雉そば」(700円)が気に入っている。雉肉のはいっただし汁が何ともいい。蕎麦湯でゆっくり味わうのが至福の時となる。
ところで、都会に住むわが団塊世代は、この年齢で東京に住むのはきついとこぼしているが、セカンドハウスとして10年限定で賃貸し、晩年を別荘田舎暮らしですごすのも悪くはないと思っている。交流人口で少しでもこうした限界集落が生き延びてくれたら、いいのだが。(K)