14.03.31

ものがたり在宅塾 市民公開フォーラム「いのちに寄り添う・いのちを看とる」

ものがたり在宅塾 市民公開フォーラム 2014/3/16

 

第1部 基調講演
「いのちに寄り添う・いのちを看とる」


石垣 靖子 氏
北海道医療大学 客員教授

 

140331_1■“物語られるいのち”の尊重
〜方針決定を支えるもの〜

日本は超高齢化社会を迎え、病院で治療を受ける人の約8割は、加齢に伴う病気や障害であるといわれます。

そうした人たちに対して、医療の進歩はもちろん大事ですが、医療者や家族が寄り添うことは何よりも大切なケアだと思います。
医療専門職とは、Lifeに関わる専門職です。

私は長い間、緩和ケアに携わってきました。

WHO世界保健機関は緩和ケアの最終目標を、患者とその家族にとって、できる限り良好なQuality of Lifeを実現することとしています。

これは緩和ケアだけでなく、すべての医療や福祉に通じる基本的な目標だと思います。

 

Lifeには、いのち、生活、人生などさまざまな意味があり、医療や福祉では特に2つのLifeが重要です。

ひとつは身体としてのLife、生物学的生命です。

これは他者から独立した生命で、死ぬとなくなります。

しかしこの身体を持って生きる一人ひとりの人生は極めて固有のもので、人間関係が親しいほど互いに浸透し合い、亡くなっても、残された者の中に生き続けます。これがもうひとつのLife、物語られるいのちです。

 

清水哲郎先生(東京大学大学院教授)によれば、患者にとって最善の治療は生物学的な状態だけでは判断できず、人生という物語への視点が欠かせません。

患者がこれまでどんな人生を送り、これからどう生きようとしているのか…その人を知ろうとする姿勢を大切に、物語られるいのちを尊重することが、適切な治療とケアの方針決定の支えとなります。

 

 

■“日常”を看ること 〜細々としたケアの価値〜

私たちは病を持っていても、死が迫っていても、普通の人です。

それぞれ固有の生活(くらし)の営みがあり、生活の自由度を広げる挑戦が、医療者の挑戦すべき課題です。

「お風呂に久しぶりに入った」「お通じがあった」「夜、よく眠れた」など、これらは医療の中では卑小性といわれますが、生きていく上でこんなに大事なことはありません。
唾液さえ飲み込めなくても大好きなお酒なら飲める、体力を消耗してもお風呂につかりたい…など。

患者の語りに寄り添い、それまでの日常を知り、細々としたケアの質を大切にすることが、医療の質に大きく関わります。

日常は誰にとっても身体化された心地よさであり、どんな状況でも私たちの心を救う最大の要素なのです。

病院はハイテク化が進みましたが、テクノロジーが進歩するほど人はタッチを求めます。

 

私の夫は肺がんでした。

あるときナースに息苦しさを訴えると、酸素濃度を測り「97%で大丈夫ですが、少し体を上げましょうか。何か気がかりはありますか」と言ってくれました。

数値と患者の感じる現実は必ずしも一致しません。

数値に支配されずに、触れることの価値を認識してください。

そしてタッチは触れるだけでなく、いろいろな方法があり、最も効果的なのは笑顔です。

それは「あなたをちゃんと見ています」というサインにもなります。

 

 

■看護の本質的な役割と責任 〜最期まで共に成長しながら〜

急性期の病院は肥大化して医療の専門分化が進み、要素還元型医療の中で日常生活は見過ごされがちで、患者にとって大変なストレスです。

ナースには人それぞれ異なる生活の営みを整える本質的な役割があります。

それは生物体としての生命の営みを整えると同時に、患者一人ひとりの物語られるいのち、生活や人生を尊重することから成り立ちます。これらにナースは責任を持って主体的に取り組まねばなりません。
私たちは日常のケアを通して、物語られるいのちに触れる中で、さまざまなことを教えられ、気づき、人間として成長していきます。

またケアは、受ける人と与える人の両方でつくるものであり、ケアが成り立つとき、患者と私たちは共に成長します。

 

キューブラー・ロスの著書「Death The Final Stage of Human Growth」は「死はその人の最高の成長の段階」という意味です。

人は体が衰えても、死ぬまで成長・成熟し続ける存在です。

最期まで人の内にある力や残された機能をよく見定め、その力を十分に使って生を全うできるように生活過程を整えていくのがナースの役割です。

その援助を行うため、ナース自身も能力を高めなくてはなりません。

 

 

■Treat me like a human being 〜かけがえのない人として〜

140331_2 1970年代にがんになった16歳の少女について書かれた

「A Way to Die ホスピス」。

 

彼女がホスピスに入ってからの言葉、

「ここではいつも私を人間として遇してくれる Here they treat me like a human being all the time…」。

 

医療者はこの言葉を忘れないでください。

患者は人間です。

誰もが固有の名前、歴史、価値観を持ち、一度の人生を生きています。

そんなかけがえのない存在として接してくれることを患者は求めています。

世界最初のホスピス、聖クリストファーホスピスの創設者の言葉、

「あなたの存在が大事なのです。あなたの人生の最後の瞬間まであなたは大事な人です。私たちはあなたが安らかな死を迎えるために、またあなたが死の瞬間までその人生を生きていけるように全力を尽くします」。

 

患者は誰もが、この“わたし”に目を向け、耳を傾け、同伴者になってほしいという、当たり前の、そして切実な要求をしているのです。

 

 

■聴くこと・つながること 〜ナラティブの意味〜

私は20数年間ホスピス緩和ケアに携わる中で、多くの患者さんやスタッフに出会いました。

その人たちから教わったことは私の財産です。

50代の安倍さんは膵臓がんと診断され、手術は試験開腹に終わり、予後2カ月と予想されました。

体調が戻らず疑心暗鬼になり、その後偶然に診断書を見て予後を知り、新たな不安や恐怖を体験しました。

しかし医療者やご家族が寄り添うことで、わが身の境遇に折り合いをつけ、自分の人生を振り返って話す(ライフレビュー)ようになりました。

今を肯定し、残される家族への気配りができるようになる。

その力は、誰かと共にあることで生まれたのであり、寄り添うケアのたまものです。

ケアに携わる者は患者さんの物語を聴くとき、その人生に触れることで、自分の人生を振り返り、自分自身の物語にも出合います。

ナラティブとは結局、患者でも病人でもなく、苦境にある人間に焦点をあてるから重要なのです。

そしてナラティブは、語り手と聴き手に橋をかける=関係づける行為です。

時間がないから話が聴けないと言いますが、たとえば清拭するとき、体を拭いてハイ終わり…では残念ですね。

患者さんの人生に触れる機会はいつでもあります。

患者さんにとって誰かとつながること、関係づけられることは心強く、その人生に触れることがケアになります。

 

 

■食べられなくなったとき 〜認知症終末期の高齢者の場合〜

人間らしさへの暴力という本があります。

私たち医療者が暴力をふるうなど意図するでしょうか?
でもいつの間にか暴力になっていることがあると気づかせてくれます。

 

たとえば認知症の終末期の人に胃ろうを造るとき。

そして、安全か拘束かという、すべての医療や福祉の現場で悩んでいる問題です。

 

認知症終末期の高齢者が食べられなくなったとき。

欧米諸国のアルツハイマー協会のガイドラインでは、胃ろうは適応外です。

本人の利益より負担が大きくなるので施行すべきではなく、できるところまで食事介助し、できなくなったとき、患者は最終段階に入ったことを医療者も、家族も理解すべきとされています。
神様は私たちの体を本当に良くつくってくださいました。

水や食物を与えないことでエネルギーを使い果たし、死に行く力は残してくれる。

米国老年学会では、死を間近にした患者は空腹やのどの渇きを覚えないとしています。

眠るように死にゆく人を揺り動かし食べさせようとするのは、愛情のあらわれではありますが、患者にとって辛いことです。

終末期に余分な栄養や水を与えないことは、まさしく緩和ケアなのです。

 

会田薫子先生(東京大学大学院准教授)は、終末期の胃ろうを含めた人工的な栄養や水分の差し控えは、医学的にも倫理的にも妥当な選択肢であり、差し控えは餓死させることではない。

大切なのはスタッフと本人、家族間の話し合いのプロセス。

一緒に考え、悩みながら得た結論は、医学的にも倫理的にも法的にも担保されると言っています。

 

 

■抑制しない臨床の場をめざして 〜認知症ケアの習熟を〜

もうひとつの問題は、拘束・抑制です。

高齢者が転んで骨折したり、肺炎などになって急性期の病院へ行く。

見知らぬ場所、見知らぬ人の中で恐怖を感じて治療を嫌がるのは当たり前ですが、治療しなくてはいけない…。

 

抑制された高齢者の言葉、
「私は自分が犬になったようで、夜じゅう泣き明かしました。縛られたということが辛かったのです。私という存在が否定されたようでした。この経験を話すだけで泣けるのです。病院は牢獄よりひどいところです」。

冒頭に緩和ケアまた医療の目的は、患者と家族にとって、できる限りのQuality of Lifeを実現させることと言いました。

患者の自由を束縛することは、どれほどQOLを下げてしまうでしょうか。

 

抑制しない治療・看護をするためのさまざまな研究によれば、まず組織の長が「縛らない」と宣言し、組織として取り組むこと。

そして抑制廃止に関わる教育。

なかでも患者を人間として尊重する倫理教育が大切です。

もうひとつは抑制に替わる看護技術の工夫です。

抑制をしない工夫はケアの基本であり、認知症ケアの基本でもあります。

スタッフが認知症ケアを習熟しない限り、抑制はなくなりません。

 

 

■看とりの質 〜“人の自然”を日常に取り戻す〜
高齢者が増えて、医療を受ける側も、担う側も、新たな倫理的課題に直面しています。

本人のQOLを尊重した過不足のない治療の選択への支援が、ときには非常に難しいこともありますが、大事なのは一緒に考え悩む姿勢です。

今や“多死の時代”となり、看とりの質は人々の関心事です。

蘇生のためにあらゆる手段をとる急性期の看とりと、高齢者や終末期がん患者の看とりは同じではありません。

自然な経過をたどって死ぬことことが楽な高齢者や終末期がん患者に、たとえば人工呼吸器をつけるのはよいことでしょうか。

 

「Final Gifts」という本には、死にゆく人からのメッセージについて書かれています。

一見意味不明な死にゆく人が言い残す言葉ですが、彼らは死に至る過程で何を経験しているか、やすらかな終末期を迎えるためにどうしてほしいか訴えています。

生老病死は、人の自然です。

しかし私たちはその自然や当たり前を日常から排除し、特殊な場所で起こる特殊な出来事にして対処するすべを失いました。

“人の自然”を日常に取り戻せるかは、私たちすべての課題です。

 

 

■患者をペーシェントにしない 〜最期までパーソンとして〜
自分が今在ることは、ほとんど奇跡です。

先祖の誰かが出会わなければ自分は存在しません。

奇跡のように今を生きている人と人が出会い、寄り添い過ごす時を大事にしたい…。

今・現在は、英語でPresentです。

今があることは、神様からの贈物なのです。

そして私の目標は患者をペーシェント(我慢する人)にしないことです。

人は亡くなるそのときまで一人の人(パーソン)であることを、どれだけ大事にできるか。

これは挑戦の価値があると思いませんか?

 

先日102歳で亡くなったまど・みちおさんの「臨終」という詩があります。

『神さま 私という耳かきに 海を 一どだけ掬わせてくださいまして ありがとうございました 海 きれいでした この一滴の 夕焼けを だいじにだいじに お届けにまいります』

 

一人の人生なんて、大海を耳かきですくうようなものですね。

私の夫はライフレビューの中で言ってくれました。

「いい人生だった。ありがとう。やりたかったことは全部やった。もう一度生まれ変わっても同じ人生を歩みたい」。

すごい人生の肯定です。

生きていく力をもらったように思いました。

私はずっと夫に、また多くの患者さんやご家族に、寄り添ってきたつもりでした。

ところが寄り添っていただいたのは私の方だったと、今、心から気がついています。

 


 

 

第2部 対談
〜会場からの質問に答えて〜
「暮らしの中の、いのちとものがたり」

石垣 靖子 氏 北海道医療大学 客員教授
佐藤 伸彦 氏 ものがたり診療所 所長

 

140331_3■看護師に笑顔でいてほしい…
佐藤
みなさんからまず第1部の基調講演を聞いての石垣先生への質問や感想、ご意見などをうかがい、そこを手がかりに考えてみたいと思います。

Q(男性)
私は病院にお世話になって、看護師さんの存在と役割の大きさに驚きましたが、みなさんお忙し過ぎます。

講演では看護師さんの笑顔の大切さのお話がありました。

心身ともに余裕がないと笑顔になれないと思います。

看護師さんが笑顔でいられる体制をつくってほしいと願っています。

 

石垣

確かに現在の繁忙な臨床の現場で、笑顔でいることは難しいかもしれませんが、笑顔でいることはひとつの訓練になります。

しかも笑顔になると、ナース自身も癒されます。

忙しいほど笑顔であろうと訓練し続けることは、ナースにとって大事です。

また人員不足は日本中の問題です。

国も地域も看護教育の充実を進めていますが、看護専門職が育つ場や、仕事に誇りを持って長く従事できる場をつくることが大切だと思います。

 

 

佐藤

看護師、社会福祉士、ケアワーカーなどは、病を持って生きる生活者にとって、なくてはならない大事なパートナーです。

そのような職員のみなさんが育つ場をつくっていくことも、私の大きな仕事のひとつだと思っています。

 

 

 

■患者の家族にどう寄り添う?
Q(女性)

看護師をしていますが、患者さんのご家族にはどのタイミングで、どのように寄り添えばよいでしょうか。

また若い看護師に患者さんの一言一言が大切な意味を持つことなど、伝えていくための良い方法はあるでしょうか。

 

石垣

患者と家族は常に一対です。

最初から、常に、ご家族もまたケアの対象です。

患者さんの病状が悪化したり、急変した時に初めてケアするのではなく、常日頃から寄り添えば、いざというときも家族を支援しやすいでしょう。

また若い看護師に対しては、先輩が看護に対する確固たる信念と、患者・家族を大事にするという姿勢がきちんと伝わるような言動をすることです。

先輩が言動で示して、後輩のロールモデルになってください。

 

 

佐藤

ドクターの立場から考えても、家族も当事者として、患者と一緒にケアをしていくことが大事だと思います。

そうして培われた関係性の中で、ものごとが決まっていくのはすばらしいことです。

また私の場合は若いドクターや学生たちへ、彼らが今後歩んでいく道を少しでも歩きやすくして、彼らがさらに道を大きく広げてほしいと思います。

そのためにもやはり先に行く者が見せる、また一緒に経験することが良いと思います。

また医学教育の中で、だんだん専門教育へ進むと初心を忘れがちです。学び始めたときの気持ちを持ち続けられるよう、私たちが時々くさびを打つことも大切かもしれません。

 

 

石垣

後輩を育てるときは、後輩から何かを学ぼうとする姿勢が、先輩の方にあることが大事です。

“人みな師なり”という言葉があります。教えよう教えようとすると、空回りするかもしれません。

学ぶ力とは、こちらの力です。

 

佐藤

本当にそうですね。誰からも学ぶという感覚は大事にしなくてはならないと思います。

 

 

 

■抑制しない看護を実現するには?
Q(女性)

私は急性期の病院の看護部長です。

限りなく抑制をしない看護をしていきたいと思っていますが、リーダーとして抑制しない看護を伝えているわけではありません。

急性期の患者さんが多いなか、やはり抑制はある程度必要では?と悩んでいます。

良いアドバイスをいただければうれしいです。

 

 

石垣

現場のナースたちは、本当に悩んでいます。

やはり認知症の方が多いので、まずは病院全体で認知症を学び、認知症ケアの研修をすること。

それから抑制しないと公言して実践している病院へ、スタッフと一緒に見学に行くこと。

また抑制しないためのケアの工夫は、志自岐康子さんが2004年に出した看護管理学会の会誌に具体的に出ていますので、ぜひお読みください。

さらに設備や環境を整えるための投資など、病院として取り組まねばならないこともあります。

すべては「抑制しない」というトップの意思から始まります。

あきらめずに一歩一歩、スタッフとともに取り組んでください。

 

佐藤

その患者さんに何が一番必要なのかを考えるプロセスをきちんと経ないで、簡単な手続きだけで抑制することが問題です。

日常の生活をしっかり支えることで、認知症の患者さんはすごく落ち着くことがあります。

抑制という言葉だけが先走るのではなく、その人に今必要なケアは何なのかを考えることが大事だと思います。

 

 

 

■畳の上で死にたい思いをかなえるには?
Q(男性)

自分は看護師ですが、家の畳の上で死にたいと言う方が多い一方で、いざとなるとやはり救急車を呼んだり、なかなか望み通りにならないと感じます。どうすれば自宅で自然な最期を迎えられるでしょうか。

 

 

佐藤

多くの人が畳の上で死にたいと言います。

それは病院のような特殊な環境ではなく、生まれ育った地域で、家族や関係性のある人たちの中で死にたいという思いの比喩だと思います。

その望みをかなえるには、やはり物語られる人生や生き方をわかってもらえる医療者との付き合いを培っていくことが大事で、それがかかりつけ医制度なのだと思います。かかりつけ医は、生物学的生命と物語られるいのち…両方のいのちを看ることが使命だと思っています。

自分の生き方や今後について話せるかかりつけ医がいることで、最終的には畳の上で死ねるのではないでしょうか。

そういうかかりつけ医がいなければ、いざというとき家族が慌てるのは当たり前です。そんなときまず電話をしてもらえる、救急車を呼ぶ前のワンクッションとなれるよう在宅医療に取り組んでいます。

 

 

■終末期のリハビリと食べること
Q(女性)

訪問看護でリハビリ職種として関わった方が先日亡くなりました。

息子さん夫婦がお世話されていた92歳のお母さんで、認知症で自然な終末状態だったと思います。

そうした方にリハビリは意味があるのか悩んだ時期もありましたが、息子さんから感謝の言葉をいただくことができました。

しかしその方は最期まで口から食べておられました。

それが息子さんの支えだった面もあり、食べることを止めるご提案をしなかったことが今も気になっています。

 

 

石垣

まず終末期ケアにおけるリハビリの役割ですが、私の夫の場合もリハビリのスタッフが最期まで来てくださり、夫もそれを待ち望んでいました。

リハビリは最期まで希望を支えるケアです。

そのことにぜひ自信を持ってください。

それから終末期の食べることの援助について。

その方の個別の事情は詳しくわかりませんが、患者さんの側に自分が一口でも食べることで、家族を安心させたいという思いがある場合もあります。

患者が最期に家族にする貢献と言いましょうか…。

ですから、それはいちがいに止められない、極めて個別に考えなければならないことです。

佐藤先生、いかがでしょうか。

 

 

佐藤

リハビリの目的に関しては石垣先生が言われた通りです。

自信を持って終末期のリハビに取り組んでください。

食べることに関しては、当事者であったみなさんと息子さんたちしかわからない個別の部分は非常に大事にすべきです。ただ、息子さんが言うからしょうがない…というのは、少々引き過ぎという気がします。

「医学的には、食べることが本人の負担かもしれません。でもあなたがこのようにすることが、お母さんが生きている証しなのですね?」などと聞いて、もう一歩踏み込んだ関係性をつくり、それでも食べさせたいと言われたら、私たちは何も言えないと思います。

またご家族は、今はもう次へ向かって生きていると思いますので、グリーフケアがかえって家族を傷つけてしまう場合があります。

常に今、目の前にいる患者さんとご家族に何ができるかに最善を尽くすことが、納得のいく、腑に落ちる治療やケアになると思います。

みなさん今日をひとつの契機として、この砺波でどうやって最期まで暮らしていこうか、一人ひとり考えていただくことが大切だと思います。

私たちもみなさんとともに考えながら、よりよい地域をつくっていきたいと願っています。

 

 

大切な「命」「いのち」を守ります。
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