最大のイベントが終わった。肩の荷が降りたというより、またちょっと重たい荷物を担がされたという感じである。佐藤理事長の強い思い入れで、ナラティブの理念をここまで支えていただいた人たちを招いてのイベントであった。イベントに慣れないスタッフにとっては、気の重いものだったが予想外の成果で、とてもうれしい。2日の砺波平安閣には250人に及ぶ市民の人たちが駆けつけ、3日は富山大学、砺波総合病院、地元開業医の先生たち含めて98人の質の高い多職種連携となって実を結んだのである。雪降りしきる中、ご参加いただいたみなさん!ありがとうございました。
先頭を切ってもらった民俗学の新谷先生の話が参加者のハートを鷲づかみにしたようだ。民俗学的な視点の面白さでもある。時代の変遷だが、分かれ目は昭和50年で、地域、家庭における風景が戦前の残り香を残らず消し去ってしまったといっていい。専従主婦は消えてしまい、一家総働きで支えないと生活が立ち行かなくなり、加えて地域のつながりも薄くなり、伝統的な葬儀が維持できなくなった。親族、隣近所、職場同僚がみんな集まって行われた葬儀が消えたのである。民俗学の凄さというのは、消えたそれらを遺そうとするひたむきな努力にある。写真に撮られた新谷先生の故郷である広島の懐かしい葬儀風景が映し出された。広島の浄土真宗門徒・安芸信徒による葬儀風景だが、懐かしさで胸がいっぱいになる。
席上指摘されたことでもあるが、インターネット上で記録されたものが果たして遺るのだろうか。カセットテープがそうであるように、急速な技術進歩はその再生技術をも古くて捨て去るものにしてしまう。恐らくその検索技術もそうだが、誰でも発信するものはホンモノニセモノの判別も困難にして、遺らないという結論になった。
3日の会議もそうだが、ナラティブの理念や実践がどこまで継承されるのかという懸念が取り上げられた。われわれスタッフの肩に乗せられたのが、この問題である。持続可能なナラティブホームにするために、どのようなことをすればいいのか。肩に荷は重い(K)