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ロゴセラピー・ゼミナール

 「夜と霧」という本をご存じだろうか。ユダヤ人ゆえに、それまでの普通の生活が突然断ち切られ、ドイツに幾つもあった強制収容所に押し込められて、労働に適さないものはガス室に送られた。ナチスの信じられない残虐非道な大量殺戮である。そんな過酷な試練を生き抜いた心理学者・ヴィクトール・フランクルがその体験を描いた。日本で翻訳出版されたのが56年。ベストセラーとなり、今また東北の被災地でちょっとしたブームとなり売れ出しているという。多くの肉親、友人、知人を失い、故郷からも切り離され、賠償も全く進まず孤立感のみが深まる仮設住宅の状況は、ナチスの強制収容所での絶望と変わりないのかもしれない。

 そんな被災者が、それでも生きていかねばならない、と思い直す何かを、この本はもっているということである。「人間は誰しも心のなかにアウシュヴィッツを持っている。でも、あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに期待することはやめない」。こんな言葉が静かに、生きる一歩を進めさせているのかもしれない。
 一度紹介した精神障害の人たちが街中で暮らす「浦河べてるの家」も、この本とは無縁ではない。べてるの家を立ち上げたソーシャルワーカーの向谷地生良(むかいやち・いくよし)は、「にもかかわらず生きる」の一言にこれだと反応して、手がかりを得た。また、TBSのキャスターであった斉藤道雄は、オーム真理教の教団幹部に放送前のビデオを見せていた事件でひとり謝罪し、社内で孤立していた時に、精神障害者の取材を通してべてるの家に辿りつく。力作「悩む力 べてるの家の人びと」に通底するのはフランクルである。

 もうひとつ、フランクルが始めた心理療法で、ロゴセラピーがある。人が自らの「生の意味」を見出すことを援助することで心の病を癒す手法で、ターミナルケアやホスピスの基本的な考え方として世界中いたるところで適用されている。ロゴセラピーを推進している勝田茅生(かつた・かやお)がロゴセラピーゼミナールを8月3~4日金沢で開くという。
 これは看護の現場で患者を扱う医師や看護婦、介護やホスピスのボランティアなどをされている方々にとって大切な知識であるばかりでなく、人生で避けることのできない自分自身の「死」と対決するためにも、必要な観点です、と説得されている。どうするか、参加を迷っている。(K)


医療にたかるな!

 「過剰医療」がこの国の未来を喰いものにしている、と啖呵を切っているのが村上智彦医師。ご存じ財政破綻した夕張市の、あの夕張市立総合病院の病院再生にひとり乗り込んでいった医師である。その経緯を本にしてまとめた。新潮新書「医療にたかるな」680円。
 喧嘩口調が小気味いい。恥知らずな高齢者たちよ、医療を受けるのであれば応分の負担をしろ!弱者の切り捨てだという批判はあたらない。金融資産のほとんどをあなた方高齢者が持っている。若い世代がどんな状態か今更いうまでもないだろう。膨れ上がる医療福祉のツケをそんな若者に任せて、自分だけは逃げ切ろうというのはエゴイズムというものだ。恥を知れ!
 更に続ける。夕張総合病院を公設民営のベッドなしの診療所として引き受けることにしたのに、当事者である夕張の態度はどうだ。市は破綻したので一文も出せないという。仕方がないので1億2000万円を個人保証で借りて運転資金とした。ところがどうだ。行政も市民も、現状を維持しくれるお人好しがやってきたと、やれ出す薬が少ないの、この病人を預かってくれ、スタッフも悪しき公務員意識にあぐらをかいて年功序列当たり前、組合が守ってくれると抵抗勢力に、一方行政も予算がないから膨大に罹る暖房施設はそのままでやってほしいと、まるで既得権であるかのように振舞う。まるでたかっている。病院の累積赤字31億円、毎年の垂れ流し赤字が3億円。誰が悪いのかといえば、政治もそうだが、市民ひとりひとりの責任でもある。夕張市民の非常識、ここに極まれり、と切って捨てる。
 そして、医療者にも。「患者の安全のため」と称して「責任逃れ」をやっていないか。特に最近は何かあるとすぐに訴えられるので、少しでもリスクを回避しようと、本来プロとしてやらなければならない仕事や判断さえ、他人に丸投げしようとする医療者が多い。また看護師もそうで、医療判断でもない事柄でも、これは仕事の範囲外と医師に丸投げしている。プロとしてしての自覚、覚悟がないと、限られた医療の人的資源ではやっていけない。
 とにかく、痛快な本である。ぜひご一読願いたい。
 ところで、この村上医師はわが理事長の友人で、薬学から医学に進んだ同じ経歴をもつことからウマが合うらしいのだ。この本もそういうわけで贈呈され、本棚にあったのを盗み読んだ次第である。(K)
 


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