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祈り 3/3

科学や合理性が前面に立つ世の中では、非合理的とも受け取られがちな祈りが軽視される局面もあるが、一方で祈りは間違いなく人間の営みの中核をなす行為の一つだ。
それを無視することは、私たち自身に宿る一部を否定することと同義ではないか。
祈りには、言葉や論理的な説明を超えた感覚を持つ力がある。その目には見えない力こそが「人間らしさ」を支えているのかもしれない。
祈りとは人間が内省しつつも、外の世界や他者と交わろうとする営みで、それは単なる慣習や儀礼を超え、私たちに生きる意義や希望を提示し得る深い行動である。
祈りが誰に向けられ、どのように成されるかは個々人の価値観で異なるが、その本質には常に「何か超越的な存在と結びつきたい」という人間の根源的願望が隠されている。
佐藤伸彦
祈り

祈り 2/3

祈りは単純に「願い」を伝える行為にとどまらない。
むしろ祈ることを通じて、心を整理し、内なる平静を取り戻すこともできる。
その祈りが誰にも「届かなくとも」、祈るその行為自体が人の心に癒しや救いをもたらすものでもある。
祈りには、言葉だけでは表せない感情や思考を可視化する力が秘められている。
また祈りは、個々の内なる行動であると同時に、社会的・文化的な行為でもある。宗教儀式や共同体イベントにおける祈りとは、人と人を結びつける存在である。
それは個だけでなく集団をも紡ぐものとなり、同じ目標や願いを共有する場を生み出す。
この観点からすると、祈りは私たちの人間関係や社会での連帯感にも大いに寄与していると言えるのではないか。
佐藤伸彦
祈り

祈り 1/3

「祈り」、それは一体どのような意義を持つ行為なのか。
私たちが他者や超越的な存在と交わりを持つための手段の一つとも考えられる。
「他者」とはときに神であったり、自然であったり、あるいは墓所や特定の物体などの姿を取ることもあれば、目に見えない、とらえどころのない存在である場合もあるだろう。
人は祈りを通じて、自らの内面にある願望や感情を表現し、それを通じて外の世界とつながりを求める。
祈りの範囲は実に多様である。
時には日常的なささやかなお願いごとな場合もあれば、深い内心の対話の場として機能することもある。
例えば、東日本大震災をきっかけとして、多くの人々が海に向かい手を合わせた。
その祈りは、ただの願いというものを超え、悲しみや喪失感、さらには言葉に尽くしがたい感情を吐き出す行為となってい他のではないだろうか。
過酷な状況でも、祈りは人間が自身を保つための重要な術ともなる。
佐藤伸彦
祈り

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