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満足死ー食べること

 在宅ホスピスの宿命ともいえるが、もう少し生きてもらえれば、こんなこともしてあげることができたのにと悔しい思いをすることが多い。しかし、昭和6年生まれで、81歳のKおばあさんはちょっと違う。食べることの貪欲さは人並みはずれで強かったが、その食欲の8割は満たして逝かれたのではないかと思われる。

 「あーうまかった。満足満足」という声が聞こえそうだった。亡くなる2日前まで、寿司、ラーメン、餅、せんべい、スナック菓子と食べ、妹さんに催促した黒豆汁をおいしそうに啜った。消化器の病気で誤嚥の危険性があり控えなければならないのだが、本人はあれが食べたい、これが食べたいと小さい声だがはっきりと口に出す。病院ではないので、本人が希望されて、家族も承知であれば、いいでしょうとなったのだが、娘さん2人もそうだが、親戚の多くの方がそれぞれの思いを込めて口に運んであげた。看護師は吸痰に苦労したが、これほどうれしい表情を見ると、苦労には思えなくなる。「ものがたりの郷」での語り草になる死に方になるのは間違いない。

 思えば、人類が誕生したのは180年前のアフリカ、恐らく木の実ぐらいしか食べていなかったのだと思う。それがいまや70億の人口である。食べ物がその地その地で開発され、生産されたからこそ命を紡ぎあえてこれたのである。そう思うと食べることをもっと厳粛に考えなければならない。辺見庸という作家が書いた「もの食う人びと」を昔に読んだことがあるが、アジアの貧民窟で、食べ残しのご飯を食べて、必死に吐き出している一節があったのを思い出した。食中毒を覚悟で食べ、多くの命が落とされて、今日の食物が出来あがっていることも時に思い出さなければならない。介護の中心に「食べる」をおくべ期だと思う。(K)


除雪の地域自治

 ものがたり診療所庄東は、砺波市街地から庄川を東に超えたところにある。川向こうで雪が深い。火曜、金曜の午後の診療だが、除雪は欠かせない。汗を流すしかないか、それとも行政に特別に頼もうか、と思い悩んでいたが、早目に出かけるといつも除雪されている。砺波市もやってくれるな、と思っていたら、こんな仕組みで除雪がなされていた。

 除雪機2台が砺波市から東般若地区に貸与され、オペレーターはこの地域に5~6人いて、地区が独自に判断して、除雪している。重機のオペレーター免許も砺波市が希望者に免許取得費用を負担し、実際に運転してもらった時は、手当てを払っている。というわけで、診療所はこの地域の公共施設となっており、当然除雪の対象とされているのである。公道、私道も住民で判断している。道路から離れたひとり住まいの老人であれば、これまた当然ということになる。これこそ地域自治の典型といわずに何がいえようか。

 さすれば、医療福祉についてもこれにならって、地域自治が行なわれてもいいのでは、と思われてきた。介護保険はまとめて地域で運用を任せる。制度にとらわれないで、必要な人に、必要な時に、必要な介護を、地域が判断して実施していく。となれば、働くケアワーカーも当然予防重視となり、制度から解放されて、利用者に最も必要とされるケアが提供できると思うのだが、どうだろうか。(k)


「ケアを開く」

 介護保険がスタートしたのは2000年。介護を家族ではなく、社会で担うという大転換で、その期待は大きかった。高齢化社会に立ち向かう切り札ともいわれたが、それから12年が過ぎ、3年に1度の介護報酬改定が続き、今年が4回目だ。1月25日に発表されたのだが、施設介護から在宅介護への誘導がはっきりしてきた。

 しかし、利用者(要介護者)も、介護事業者も腑に落ちないことが多い。膨れ上がる予算を必死に抑制しようという意図が、介護保険の最初の理念を捻じ曲げようとしているように見えるからだ。24時間地域巡回型サービスといっても、そんな人材がすぐに確保できるわけがない。老人保健施設は自立支援を促すものであるから、在宅に戻した率に応じて報酬を高くするというが、重度化した人しか入居していないのが実状で、今更自宅に戻せない。実現不可能な施策を、報酬改定で政策を誘導していく手法は、もう通じなくなっているといっていい。

 大阪大学学長であった哲学者の鷲田清一氏の指摘だが、「ケアを開く」という視点である。そこに立ち返って論じてもいいのではないだろうか。介護保険の基準とか、認可とかで、介護を「世話」であったものを「業務」にして専門職に任せるという事で、やせ細らせているという。人が人の世話をするのは、大抵の場合他の仕事をやりながらするのが、普通のかたちだった。それが保険でやるからといって、規制にがんじがらめにされて、普通の人が世話をしてはいけないということで、追い出されてしまっている。この大きな矛盾にもっと立ち返ってもいいのではないか、というもの。お世話ということなら、地域の出番である。介護を地域で行うとすれば、どうしたらいいのか。介護保険を地域に任せる視点、任せて大丈夫という地域づくりが問われている。(K)


終活

 就活ではない。この終活が、シニア世代にじわりと広がっている。必ず誰にも訪れる死を前向きに準備しようという活動で、葬儀はどうする、墓はどうする、遺言は、などと子供には負担をかけない「死後の自立」を目指している。

 「墓友」なども出現している。「旦那の墓には入りたくないのよ、ねえ一緒に入ってお墓の中でも楽しくやりましょう」また「おひとりさま同士、来世も助け合いましょう」ということらしい。正月には、遺言ノート、エンディングノートを確認したり、書き換えたりすることも世の常識となっている。「明るい遺影写真展」「エンディングドレスのファッションショー」なども行なわれている。

 そして病院も変わり始めた。千葉県にある亀田総合病院、島根県にある松江赤十字病院では、霊安室は見晴らしのいい最上階にある。隠すように、隠れるようにしてきた遺体の搬送も堂々と正面玄関からが主流となってきており、それに出会った人々も自然に頭を下げているのが普通になってきている。

 わが砺波ではまだまだ忌み嫌うというレベルは出ないが、死に対する意識の地殻変動が起きていることは間違いない。どうせ死から逃れられないのなら、在宅で、生活の質を落とさず、与えられた命を楽しんで逝きたい、という人が増えていくのは確実だと思う(K)


「月間看護と介護」

 東京本郷といえば、東京大学のあるところだが、その本郷通りと交叉する春日通りに面して本社を構えるのが医学書院という医学書専門の出版社である。今はどうかわからないが、日本一の給料だった。医学書は部数は少なくても、高価な設定になっていて、その上長く売れ続けるので利益が大きいというのがその頃の定説になっていた。その医学書院が出している月刊誌「訪問看護と介護」の取材を受けたのである。
やってきたのは青木大介君だ。就職活動の難関を突破して入社の28歳である。早口でしゃべり、あれもこれも目一杯に取材し、資料の全て、撮影できるものの全てを撮って行った。その1月号に「ナラティブホームの挑戦」と題した、なんと6ページの特集となって送られてきた。要領よくまとまっている。

 「医療と住宅が一体で支える終末期ケアの物語」を佐藤理事長が、読者に語りかけている構成となっている。1冊購入だと1,365円だが、年間購読は13,200円。いつも思うことだが、日常の作業に追われるばかりだと、視野はどんどん狭くなり、追い込まれていくことが多くなる。ところが、こうして外部の目からこんな風に見られているのかと差し出されると、自分たちの立っている位置も満更ではないと思えてくるから不思議だ。外部の目というのは、内ばかりにこもって、時に不都合なことを隠したがる内向きな姿勢を正してくれる利点もある。忙しい時に取材を申し込まれて、面倒と思うときもあるが、外部からの評価を受けることで、ひとりよがりになることが避けられると思えば、これは積極的に受け入れていくのが組織にとってもいいことだとなる。
ということで、広報も大事にしていきます。

 できれば手にとって読んでみてください。(K)


胃ろう

言葉の難しさだ。

流されるばかりの表現では人を大きく傷つけるということも。自戒しなければならない。
朝日新聞の12月19日朝刊「投書欄」は胃ろうの功罪2編を掲載している。

ひとりは97歳で亡くなった妻のことを話す。
誤嚥性肺炎のために胃ろうをつけて2年半。
当初はよくしゃべっていたが、だんだん反応がなくなっていった。
「経口摂取のリハビリも行なう、改善すれば胃ろうは容易にはずせる」といわれたが、理学療法士のリハビリは週1回で、はかばかしくなく、リハを増やしてほしいといったがかなわなかった。
食べることは生きる力につながる。
胃ろうを導入するなら、経口食も取れるよう、リハにも力を入れてほしい。そうでないと、空しい時間が残されるだけだ。人として尊厳を守れる医療体制になって欲しい。

いまひとりは66歳。
脳梗塞で嚥下障害を持つ人だが、胃ろうで栄養を取りながら補助として口から飲食し、通常に近い生活を送っている。
ところが、胃ろうは延命だけを目的にしているという最近の論調に怒りを覚えてる。確かに胃ろう造設は患者にも苦痛をもたらす。
それを苦痛だけをもたらすだけとして否定されたら、死ぬしかない。苦痛に耐えながらも懸命に生き、かすかな希望や喜びも得ていることも忘れてほしくない。
胃ろう即延命というのは、酷過ぎる偏った見方である。「人の命はそれほど軽くない」。
結論は自分はこうしてほしいという意思を、判断能力があるうちに明確にしておくしかない。

とはいうもののこれがなかなかに難しい。(K)


自分史

 ひとりが亡くなると百科事典1冊が消えてなくなる、といわれる。長い年月の経験によって刻まれた貴重な記憶がなくなるからだ。ナラティブホームがスタートしてから、もう50人に近い方をお送りしているが、もっと話を聞いておけばという方が少なくない。記録として残しておくべきだという話も実に多い。そんな悩みをもっていたところ、こんな男があらわれた。赤壁逸朗君だ。地方紙を潔く退社して、フリーのライターで独立している。志が高く、心やさしい青年である。あるパーティで遭ったところ、ある人から自分の人生を話すからまとめてくれないかという依頼があり、何度も取材してこのほど仕上げたという。自分史である。もし、他から依頼があっても引き受けてくれるかい、と頼むと、お会いして通じるものがあればやりますとの返事だった。もしそんな希望をお持ちの方があれば、ぜひ連絡をいただきたい。もちろん有料となるが、そんな破格なものではない。
 そんな分野をオーラルヒストリーという。文字を残さない人々の、聞き取りによる歴史記録として、民俗学者や民間史学者たちによって長年にわたって積み重ねられてきたもので、いわば無名の、貧しい労働者や庶民が対象となっている。とてもとてもわたしのような者の人生など、お聞かせするほどの値打ちもございませんという人が、意外に歴史の真実を知っているのである。功なって名を遂げた人は、歴史を捻じ曲げてまで、自分の正当なることを主張している場合が多い。
 


インフルエンザ予防接種

 「こんな近くで、待たずにできるちゃ、ありがたいことやちゃ」。おばちゃんのこんな一言で色々な苦労が吹き飛んだ。

 11月27日の日曜日。東般若農村振興会館で住民対象のインフルエンザ予防接種を行なった。午前9時~正午まで、事前に予約を取ってもらった57名が対象である。2歳から89歳までの地域の人が駆けつけてくる。初めての試みで、ものがたり診療所庄東に予約された人を含めると150人を超える。

 東般若の人たちの診療所に対する熱い思いを感じる。こうした思いに佐藤・八木両医師が休日返上で対応し、加えてスタッフ5人が、受付、予診表記入、体温測定、接種済証発行、領収書手渡しなどの流れ作業に取り組んだ。

 高齢者用の接種券を忘れた人、財布を忘れて知り合いに立て替えてもらった人、娘さんに車椅子を押してもらってきた人、左手で予診表を記入する中学生、と色々な人がやってきたが、うれしい半日であった。

 この振興会館は、昭和12年創立の東般若小学校の跡地に建っていて、和室に襖を見上げれば、松村謙三元農相が揮毫した「克学克遊」(よく学べ よく遊べ)の額が掲げられている。そんな歴史の積み重ねで地域が成り立っているのである。(K)


つるかめ診療所

 どんな想像をしますか。鶴は千年、亀は万年。不老長寿を約束する診療所か。さしずめ先生はひげをはやしたおじいさんか。ということになるが、何と鶴岡優子さんという43歳の女医さんである。栃木県下野(しもつけ)市で開業している。それも夫婦だけで、訪問診療が中心である。ということは旦那さんも医者で、ふたりとも1967年12月5日の同年同月同日生まれ、そして順天堂大学も同じという不思議な結びつきなのだ。子供3人がいて、育児もしながらの騒々しい診療所で、絵本の「カラスのパンやさん」をつい思い出してしまったが、もちろん夫唱婦随ではなく、婦唱夫随だというのは一目瞭然であろう。
 その鶴岡女医が一泊二日で、ものがたり診療所にやってきた。つるかめ診療所のテーマは「プライマリーケアと代替医療」。簡単にいうと、正解がひとつという西洋医学だけではなく、人間をまること見て、時に鍼灸や、サプリメントも活用しようというもの。それを栃木は下野の地で、在宅を中心とした地域医療で実践できないか、ということで、何かヒントを掴みたいという目的である。
 太田、庄東の両診療所、ケアポート庄川も訪ね、荒川先生にもあいさつ。そこでは「私、順天堂大学山岳部なんです」とふたりは旧知の如く話題を弾ませることになった。また、白衣を着て、佐藤理事長の訪問診療にも同行。翌朝には朝の会議にも参加。精力的に出張をこなしてのものだったが、今後どう展開していくか、興味津々である。
全国に志を同じくする医師達がこうして誕生していることは心強い限りだ。

 


記念撮影

 談話室のドアを開けると、そこはお花畑となっていた。ありたけの花瓶にコスモスがあふれんばかりに投げ込まれ、ススキもバランスよく配されている。部屋隅の畳2枚の上には金屏風が一双立てられ、あっという間に舞台ができあがっていた。これがナラティブホームの唯一誇れる得意技である。

 いきさつはこうである。瞬発力が取り柄の職員がいる。これだと思う、ともう走り出すタイプで止めようがない。彼女が夜間待機の時であった。訪問看護に訪れた「ものがたりの郷」入居のKさんとつい話し込んだ。Kさんはガン末期である。年齢もそう違わないので、他人事と思えない。「こんな状態だと、娘の花嫁姿を見られないかもしれないね」と落ち込んだ様子の声に、瞬発力に火が付いた。その日のために既に出来上がっていた振袖を娘さんに着てもらって記念撮影をしましょう、となったわけである。それも今夜である。バトンは次々渡され、ひとりはコスモスに、ひとりはススキに、そしてひとりは親戚がやっている建具屋に金屏風を借りに走り出したのである。

 旦那さん、息子、娘の一家全員が揃う午後8時に撮影するとなったが、素人写真ではやはり心もとないと、プロの写真家にお願いすることになった。みんなお腹が空くだろうからと、新米の炊きたてと肉じゃがが用意されたことはいうまでもない。

 こんなやり取りを聞いていて、ふと「自分にあたわった丁度いい人生」という冊子を遺して逝った友人の一節が思い出された。「せめて子供たちが結婚するまで、いてあげたかった」「世間知らずの夫は私がいなくなったら困るだろう」との思いこそ、不遜なこと。自力のはからいにとらわれている証拠。自分がいなくなっても、みんな自分にあたわった、ちょうどいい人生をちゃんと歩んでいくことでしょう、というもの。
  「あたわり」というのは富山弁で、運命づけられたこと、あるいは、宿命の、という意である。この心地いい響きは、越中真宗門徒のこころの響きともいえる。

 ところで、わがスタッフは、ここまで思いがいたるか、どうか。

 

 

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