ものがたりスタッフBlog

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糞土師

「ふんどし」と呼ぶ。

というより、勝手にそう名乗っているのが伊沢正名さん。

 

茨城に住む62歳の自然写真家。

はっきりいってしまうと、野糞を実践し、研究もしている。

山で穴を掘って、しゃがんで出して、葉っぱで拭いて、ほんの少しの水で清め、土で埋める。

これを38年間続けている。

 

きっかけは住民が起こした屎尿処理場の建設反対運動。

汚くて臭いものを自分の近くに置くな、というが、考えてみるとそれは自分が出したものだろう。

これは身勝手以外のなにものでもない。

 

 

そしてもうひとつ。

「うんこはゴミなのか」という疑問。

大地に返せば、自然にとって大切な栄養になるのではないか、ということ。

そんな思いからから糞土師になった。

 

トイレにとっての大敵は地震などで断水すること。

水で流せない。

多くの人はゴミ袋に新聞紙を重ねてそこに用を足し、ゴミ捨て場に出す。

近辺には大変な異臭が漂う。

東日本大震災でも、被災地はもちろん茨城、千葉などにも多くの人が悩まされた。

ひとり伊沢さんだけがすっきりしていたことになる。

 

その伊沢さんが野糞に目覚めたもう一つの要因が、キノコの生態を知ったこと。

菌類であるキノコがきちんと有機物を無機物に分解して、大地を肥やしてくれる。

うんこは夏場だと1ヵ月で分解し、3~4ヶ月できれいな土に返っている。

むしろ分解できないのがティッシュペーパーで、いつまでも原型を留めている。

そんな理由から葉っぱを持ち歩く。

 

さて、排泄は人間にとって、食事を摂ると同等に生きることに欠かせない。

といいながら、いかにも隠すようにして、見て見ぬふりをしていないかということ。

伊沢さんはこれを見つめることによって、死が怖くなくなったという。

自分が消えていく代わりに、他の生き物を生かしていくことができる。そう考えるようになった。

日本人全員が毎日野糞をしても十分な森林面積がある。

一度は経験してみる価値があると思う。防災メニューに加えなければならない。


エイジング・イン・プレイス

横文字は大嫌いの、大の苦手でもある。

しかし医療福祉の先進国にならう政策となると、ついつい横文字がストレートに持ち込まれる。

困ったものだ。

 

エイジング・イン・プレイスとは、住み慣れた地域で高齢者の生活を支え、できればその地で命をまっとうすること。さあ砺波で、しかも過疎の栴檀山地区で、そのことが可能かどうか。挑戦が始まろうとしている。

都会に較べると、まあ住宅は確保されているとして、高齢者が抱える様々な医療・介護・生活支援に対するニーズが、柔軟適切に、継ぎ目なく提供できるかどうか、その仕組みがなければエイジング・イン・プレイスの実現は困難である。

 

いま挑戦しようとする人は、昨年暮れに胃の全摘手術を受けている。

余命何ヵ月という告知を聞き、奈落の底に落ちたような絶望に打ちひしがれた。

しかし手術は成功し、持ち前の負けん気で何とか立ち直った。

通院を続けながら、何とか仕事をこなし、合い間には農作業も自分のペースで行なっている。

しかし早晩衰えてくることは間違いない。

これを家族だけではとても担いきれない。

彼が生まれ、育った栴檀山は、緑豊かな里山だが限界集落といっていい。

ものがたり診療所庄東の範囲内で、昨年は特定健診をそこの農村振興会館で開いたのだが、全員が知り合いで声を掛け合ってのにぎやかなものだった。

人は少ないが、地域の絆という強い連帯感が残っている。

そこに賭けるしかないと思っているし、何とかその成功モデルになるに違いないという確信めいたものもある。

 

そんな人を在宅で、療養及び生活を支えるためには、医療保険、介護保険での制度的なサービスはもちろんのことだが、保険外の様々なサービスをいかに確保できるかが大きなポイントとなる。

その保険外サービスを、地域の健康な高齢者自身に担ってもらうことを想定している。

これは個人の挑戦ではなく、地域の挑戦である。この地域がエイジング・イン・プレイスのモデル地区になるのだ。

 

ぜひ見守って欲しい。


定員割れ

実はさる福祉士養成校に求人票を掲示している。

夜間勤務もあり厳しいですよ、といわれていたので、問い合わせがあればもうけものという気持ちだったが、予想通り全く反応がない。

 

そんな思いのところに、県内の介護福祉士養成校4校の定員割れ報道である。

全体で定員250人だが、何と190人しか入学せず、大きく定員を割り込んでいるという。

「きつい」「低賃金」という介護職離れという現実を、今更ながら見せつけられた。

原因の大きなものは介護保険の持つ矛盾である。

身体介護にしても、生活援助にしても公定価格と決まっている。

真意は定かでないが、主婦の家事労働から算定され、単身者が生計をぎりぎり維持できる水準である。

その人の能力に全く関係がない。

おまけに感情労働といわれる「いつも笑顔で」「優しく親切に」「決して怒ってはならない」「何を言われても言い返してはならない」だ。

無体なほどまでの感情抑制が求められる。

同じ感情労働者であるフライトアテンダント、バーのホステスと較べても、明らかに低いことは間違いない。

 

なぜ、人間の生命を維持し、その死をみとるという労働が、その他の労働の下位におかれるのか。

社会学者の上野千鶴子はジェンダー(女性差別)が深く関与すると指摘する。

ケアは女の仕事、女なら誰でもできる非熟練労働、それだから既婚女性など供給源は無尽蔵という図式だ。

労働条件が改善するためには、この図式構造が壊れる必要があるとする。

 

しかし、待ったなしで要介護者が激増している。

現場だけの努力では限界があることは確か。

当事者の片隅にいるのだが、当面知恵と才覚でどう乗り切るかだが、それでも早晩壁にぶち当たることは間違いない。

あなたならどうする。(K)


サ付き住

 正確にはサービス付き高齢者住宅を指す。昨年10月の法律改正で、高齢者専門住宅(高専賃)などがすべてこの名称に変わった。名称だけではなく、国交省管轄に厚労省が加わって、サービスは安否確認、生活相談が義務付けされ、その他医療介護も積極的に導入して、最終的には看取りまでも視野にいれるようにしてほしいというものに変わった。病院・施設はこれ以上増やさない代わりに、民間で「サ付き住」をどんどん増やして欲しい。そのために建設費、家賃補助を積極的にやるという方針である。
 5月23日、東京で「サ付き住」のセミナーが開かれた。参加費は1万円。今後のためと思って参加したのだが、品川の会場は何と1000人を超えて溢れかえっていた。全国から、この流れに乗って、何とかしてやろうというメンバーである。通路にはボストンバッグやリックが置かれて、真剣にメモを取り、一言も聞き漏らすまいと静まり返って緊張した雰囲気が最後まで続いた。
 超高齢化社会の到来を前にしての空前の財政難。小さな予算で、民間投資を最大限に引き出し、必要な医療介護を最も効率よく配分する。これが狙いであることは間違いない。こんな発言が飛び出したのには、驚いた。特養や老健などの施設も、職員を最小限にして必要な時に訪問看護、訪問介護をいれる。そのために24時間地域巡回型サービスの強化をやるというもの。いいとこだけのつまみ食い施策が、もっともらしく論議されているのである。医療介護を受ける側も、それを提供する医療介護従事者も、人間らしさからますます遠ざかるものだ。良心や優しさを押し殺して、必要最小限の福祉という方向だが、現場から押し戻さなければならない。みんな声を挙げよう。(K)
 


ぽぴー村

 自ら出資して、経営に携わり、そして自ら率先して働く。雇用されない労働といい、それで「仕事おこし・まちづくり」をするという考え方で社会を変えていこう。そう呼びかけるワーカーズコープという全国組織がある。そこの活動家で、ひたむきに頑張る宮崎弘美さんが、砺波市宮森に富山型ディを開いたのは昨年9月で、ぽぴー村と称している。ものがたり診療所庄東の大家さんでもあるのだが、いろんな便宜を図ってもらっている。今回は見るからにエネルギッシュな宮崎さんを紹介する。

 この仕事に関わるきっかけは、看護師として福祉施設で働いていたが、老人が家に帰りたいと願いながら、家に帰れないという厳しい現実にみんなが悩んでいたこと。それなら自分でやってやろうと思って、10年前に高岡ぽぴーを立ち上げた。向こう見ずで、猪突猛進的なところがある。老人だけではなく、登校ができない問題児も抱えたこともあるが、体当たりで接し、自然と触れ合う中で、笑顔が取り戻すことができた。居場所が暖かければ、誰でも回復できるという手ごたえだった。

 砺波を選んだのは、農業ができるということ。このポピーは高齢の方だけでなく、障害を持った子供たちも対象にした富山型ディで、多彩な人が集ってもらうことを目指している。いまは敷地内の小さな畑だが、貸してくださる方があれば季節の野菜を入居の皆さんと一緒に作って、収穫したものを料理して楽しく食べるのが夢。手始めにとヤギを飼い始めた。

 また先日、103歳の知人のおばあさんを看取った。施設で不自由されているのを見た時、私に看取らせてとお願いしたのである。できるだけのことをしてあげたいとの思いだが、最後は玄孫(やしゃご)さんと手をつなぐことが出来て、笑顔を見る事ができた。この仕事が私に与えられた天職かもしれないと思うようになった、とか。
指図される仕方がない労働ではなく、こうしてやろうという自発的な労働が福祉の質を高めることは間違いない。仕事で悩む人は、このぽぴー村に来たれ!とにかく元気がもらえることは請け合いだ。
 


「もういいかい」「もういいよ」

 人生を余すことなく生き切る。その生き切った人が心底からしぼり出す言葉であり、また看護し切った奥さんがそれに応えて静かに返す、満たされた言葉でもある。「もういいかい」と言葉ではなく眼が静かに訴えていて、握り返す手で「もういいよ」と応えている。9年に及ぶ神経難病とがんという大敵に挑んだ闘病生活を戦い抜き、ようやくに辿り着いたやすらぎの瞬間でもあった。

 医師という職業を得て、いざこれから多くの患者に手を差し伸べようとしていた矢先の、49歳での発病だった。助ける側から、助けられる側へ。どれほどの無念を抱えたものであったか、はかり知れない。わめき散らしたい衝動を必死に押さえ込む理性に驚嘆するしかないのだが、ナラティブのスタッフにみせる仕草には、そんな無念の一切を感じさせなかった。感謝といたわりに満ちており、こちらが勇気付けられ、やらねばと鼓舞された。

 またひとつ、惜しんでも惜しみきれない命を失った。4月24日のことだったが、それでも一筋の希望が明日へとつないでくれたようだ。最期の時に、愛息ふたりが父親の手を握り、涙をこらえながら、魂のバトンタッチがなされたのである。明治国際医療大学に学ぶふたりだが、何にも代えがたい大きな遺志を受け継いだといっていい。

 葬儀で喪主あいさつをされた奥さんは、涙声ながら、清々しい表情だった。素晴らしい男の遺志を受け継いで、それに負けない生き方をしなければなりません。そうしないと申し訳が立たない、そんな覚悟を聞いたように思えた。これから生きる人を励ます、そんな死に方もあるのである。

 いささか手前味噌になるのだが、心電計も呼吸器もつけないで、主人と素のままで交感し合える最期を提供してもらったナラティブホームに感謝します、とあいさつで紹介いただいた。いたらない点もたくさんあったのに、恐縮しきりである。
読者のみなさん!最期は「もういいかい」「もういいよ」ですよ。
 


盛岡・中津川病院

 東北からの来訪である。盛岡にある中津川病院の松嶋院長と長村(おさむら)看護師で、在宅を中心とした地域医療を目指したいと駆けつけてくれた。松嶋さんは院長に就任して1年目、36歳の若さから、熱血院長と呼ばれている。院長はとんぼ返りだが、長村看護師は、ナラティブのすべてを吸収したいと、何と砺波アパホテルに一週間泊り込みである。
 若き院長は早速、見学記を自分のブログに書き込んでくれた。「佐藤先生をはじめ全スタッフの,やさしい医療を展開するという力強い情熱が,ビンビン伝わってきた。見学中,ぼくは武者震いを止めることができなかった」。

 身に余る賛辞だが、じっくりといい面も悪い面も見ることになった長村さんはちょっと違う。「やることはどこも一緒ですね。違いは東北弁と富山弁の差ぐらいですね」。震災でガソリンが無くなった時には、通勤もままならず泊り込んでやったのです。砺波も意外と遠くの在宅に出かけるので、ガソリン代も大変ですねと経営のコストまで心配してくれる。いいセンスである。全く知らないところに飛び込んで、一週間もみてやろうという気概は並大抵ではない。ちょっとした研修でも、二人でないと心細いというどこかのスタッフには、ぜひ見習って欲しいものだ。

 また一方で、高校3年生の受験生を抱えるお母さんでもあるが、育児はおばあちゃんに任せきりにせざるを得なかった分、思いは複雑で深い。震災の日は泊まりの日で、家に帰れなかった。息子は慌てることなく徒歩で20キロ近くを歩いて帰った。本好きの息子の部屋は大散乱していたがみんなで手伝って、ようやくの思いで片付けた。盛岡一高という進学校にいる息子は当然のように東京へ進学するという。残り少ない日々をどう過ごそうか、の思いも駆け巡っているが、思い出に残る出来事になることは間違いない。

 見学や研修と称して多くの来訪者があり、すぐに核心は何ですかと聞いたりされるが、人も違えば、地域事情も違うので、そのまま正解になるものはほとんどない。それよりもわき道にそれたり、世間話の中で、そういえばというヒントや思いつきがたくさんある。
長村さんは訪問看護で、独居老人の灯油の発注受け渡しなどの手伝いもやっている。盛岡の冬は長くて厳しい。「かあさんが夜なべをして手袋編んでくれた・・・」(K)


訪問看護

 医療福祉の世界は意外と狭く、情報があっという間にひろがる。しかも尾ひれがつくことがあり、言い訳ばかりする羽目になることが多い。
実は訪問看護ステーションを4月30日で休止することを決めた。訪問看護は在宅医療に欠かすことのできない存在で、それを休止にするとはどういうことだになる。訪問看護の仕事は医療保険対応と介護保険対応とに大別されるが、在宅末期を中心とするナラティブホームの場合は医療保険となる割合は非常に高い。平均が2対8とすれば、4対6ぐらいだ。

 この2年間ステーション形式でやってきたが、在宅末期の患者さんは病状の変化が待ったなしで起きるので、医師の指示命令書を文書で事前にやれというやり方では、なかなかに厳しい。加えて、これが一番大きい問題だが、文書情報が診療所と看護ステーションで別々になっており、患者さんの変化履歴が医師、看護師で共有できないという最大の欠点に悩まされてきた。

 この解決策として、ステーションを休止して、看護師を診療所付きにして、「みなし訪問看護」でやってみようとなったわけである。これだと医師の診療録(カルテ)に訪問看護の指示が記録され、看護師は看護記録として同一画面上で時系列に記載することになる。1年間休止して、このことを検証することにしたのである。患者さんに迷惑をかけることもなく、ちょっと収入的にマイナスとなるがこれはやむをえないと思っている。4月1日現在で看護スタッフは8人を数える。今まで以上に在宅医療でみなさんに貢献できることは間違いない。
休止をつぶれたと誤解する人もいて、大変なのだが、しばらくは辛抱強くこのことを伝えていかなければならない。読者のみなさんも是非、ご理解いただきたい。(K)


「カーネーション」

 女性が仕事に打ち込んで、生き生きしている。朝ドラ「カーネーション」もそうだが、見ていて実に気持ちがいい。その小原糸子に負けないAさんの話です。

 Aさんの仕事は町の写真屋さんである。戦後夫婦で立ち上げ、今年が60周年。夫に負けないくらいにAさんもシャッターを切ってきた。ものがたりの郷に入居されたのは昨年の10月で、83歳での癌末期だったが、誰が部屋に行っても愛想がよく、自分から話かける明るい人だった。日本昔話なんかも、いくつも覚えていて、孫に話すように話し出す。自然と笑顔になってきて、こうして子どものシャッターチャンスを作っていたのかとそのプロ根性に舌を巻いた。商売も積極的で、小さな井波から、砺波、高岡と3店舗を構え、娘さんがあとを継いでいる。ここでもカーネーションには負けてはいない。

 残念ながら、3月5日に亡くなられたが、娘さんふたりに手を握られて「ありがとう」の声を掛け合っての感動的な最期となった。また気丈夫らしく、トイレは最期まで自分でといい張り、転んで顔に痣が出来ていたが、わがスタッフの名人芸に達したエンゼルメイクで、晴れ晴れとした実にきれいな死顔であった。前日に、オレンジを所望されて、実に気持ちよく飲み込まれたのが、こちら側の満足である。

 朝ドラ仕立てにしてもいいくらいの人生であったことは間違いない。(K)

 


「かあさんの家」

  南国・宮崎県宮崎市の話である。近所の民家を借り上げて、看取りの家に仕立てあげた。有料老人ホームとか、サービス付き高齢者住宅とかではなく、いわば下宿人をおくという感じである。「かあさんの家」と呼んで、それが現在4軒となっている。7年間で38人を看取っているのだが、リーダーの市原美穂さんは必要にせまれてやってきたこと。基準とか制度を待っていたら、とてもできなかったろう。また行政もグレー部分には明確に指示しません。むしろ、後向きのアドバイスとなります。待ったなしでやるしかないのです。

 政策が急激に病院、施設から在宅へと舵を切りながら、その受け皿をまったく用意していないことが問題であり、これをいけないというなら、誰が、どこが、引き受けるのかと意に介さない。ほぼ5人を定員にして、介護スタッフ5~6人が365日24時間見守る。「かあさんの家」のいいところは、身動きする物音や小さな呼び声、寝息、匂いを感じとりながら、それを察してケアができること。もちろん在宅医、訪問看護師などが随時入ってサポートをしてくれる。みんな外付けだから、誰でも、どこでもできるのだ。

 「ご遺体がどういう状態であるかが、介護者の通信簿です」と妙に記憶に残る。これを持続可能なシステムにしていくのがポイントで、家賃や食事で85,000円、その他生活支援費で4万~6万円、その他に医療費、介護費の自己負担が加わることになる。これが限界であり、収支はトントンで、営利事業としてはまったく成り立たないという。「かあさんの家のつくり方」という本を出版して、いろんな地域で挑戦してほしいと呼びかけている。お会いしたのは東京で行われたケアワーカー集会だったが、47年生まれというのに溌剌40代に見えた。(K)


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