ものがたりスタッフBlog

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毎日がアルツハイマー

これは映画の題名で、劇場で立ち見が出るほどの人気らしい。

82歳でアルツハイマー病と診断された母親を、娘が映画監督となって映画に仕立て上げた。

家族をさらけ出している。

視点を変えると、それほど悲劇的ではなく、むしろ明るく、こっけいで、何か楽しんでいるのではないか、と思えてくる。

 

この母親はいわゆる良妻賢母で、世間体を気にしてばかりの真面目な人だった。

すごい掃除魔で「家が汚される」と怒るので、友達も家に連れて来られなかった。

ところが病気になってそうした“壁”や“仮面”がごっそり落ちて、「今、ストレスがないんだ」「こんなラクなことはない」「今までの私はなんだったんだろう」というようになった。

アルツハイマーになって、本人が解放されている。娘の監督はそれをカメラに収めている。

この娘監督は、母の理想の娘像を踏みにじるようにオーストラリアへ行ったきり29年間も帰ってこなかった。

現地の人と結婚し、子供ひとりをもうけて離婚までしている。

これまでわがまま自由にさせてもらったのだから、これぐらいの介護は恩返しと思っている。

ここがポイントで、自分を容認できていない人は、他人を容認することもできない。

一番辛いのは誰か、といえば介護される側。

そう思えるかどうか、だという。

そうした意味では、介護というのは自分の問題で、自分が試されているのだともいい切る。

「毎日がアルツハイマー」をできれば見てほしい。

 

現在の認知症患者数は307万人。

これからもどんどん増えることは間違いない。

厚労省は「認知症になっても本人の意思が尊重され、できるかぎり住み慣れた地域のよい環境で暮らし続けることができる社会」を目指すという。

つまり「在宅」「地域」がキーワードとなっている。

果たしてどうか。

しかし待ったなしでやってくる。

 

文句をいってみても、どうもあなた任せにはできない空気だ。

もう立ち上がって、大声を出してでも受け入れていくしかない。

 

新年早々ながら、覚悟が必要ですぞ!(K)


東般若への移住

ちょっといい話である。

 

現在射水市のマンションに住んでいる人が、東般若にある空き家を求めて、父親と一緒に移り住むという。

ものがたり診療所庄東と「大空と大地のポピー村」から程近くで、父親の介護に最適だというのが移住の理由。

 

ポピー村の宮崎さんに母親の介護をやってもらって、この宮崎さんのそばなら大丈夫と判断した。

敷地は300坪、建屋は100坪だが相当古くリフォームも必要である。

移住を決めたKさんは富山でフリースクールの教師をやっている。

ご存知フリースクールとは、不登校や障害のある子が学び直すためのもので、受験も想定して教育するのはもちろんだが、普通の生活に復帰できる人間関係を構築するものを身に付けさせるのが最重要である。

Kさんは、このリフォームをこのフリースクールを巣立った30歳の大工である若者に発注している。
当面は父親の介護だが、千葉に住む夫の両親も視野に入れ、将来的にはひとり老人をルームシェアさせてホスピスにしてもいいとまで考えている。

その手始めにカフェはぜひ開きたいとして、設計の中に入っている。

行政のまちづくりは杓子定規で規制ばかりだが、こちらは必要なものは自分らで作っていくという発想で、人間くさく自由闊達で面白い。

東般若の一角はどう変貌を遂げていくか。

来春の初夢としたい。

みなさん、今年1年の愛読ありがとうございました、どうかよいお年を!(K)


こころを看取る

「世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事をもつこと」とは、福沢諭吉の名言である。

カリスマ訪問看護師と呼ばれる押川真喜子さんの「こころを看取る」(文藝春秋刊)を読むと、この名言通りの人だなと思う。

 

その社会人第一歩は東京・板橋の保健師だった。

その慣れない時に、連れ合いがALS(筋萎縮性側索硬化症)だという奥さんから「入院先の主人を連れて家に帰りたい」という相談を受ける。

ここが人の運命の別れ目というのか、宮崎出身の素朴さが困っている人を助けないでどうするとなる。

もちろん職場の多くが反対するが、無謀にも引き受ける。

この無謀さを否定したら、何にも始まらない。

臆病を装う看護師、介護士たちよ!無謀こそ新しい天地を切り拓くのだ。

1983年のことだから、訪問看護制度もなく、在宅人工呼吸療法の保険適用もなく、すべてが手探り。

往診してくれる医師までも探さなければならなかった。

 

それから何と28年間の在宅療養生活が続いたのである。

孫娘の成人式姿を見るのが夢だったが、叶わなかった。

しかし77歳まで生き抜いた満足感は本人もそうだが、家族も思い残すことはなかった。

そんな経験をもとに、92年聖路加国際病院が全個室で新病院に移るときに、押川さんが責任者となって訪問看護科を立ち上げた。

まだ訪問看護って何するところという認識である。

スタートぐらいのんびりやろうと思っていたのだ。

現在1日の訪問件数が7回が採算分岐点といわれているが、2~3回で良しとしていた。

そこへ、あの日野原重明院長からお呼びがかかった。

 

「押川さん、あなたの部署は一体どれぐらいの収益を上げているかわかっていますか?」と詰問されたのである。

あの虫も殺さぬ、優しい口調で、損益を頭に入れているのですか、このまま赤字を垂れ流すのですか、と問いかけられたのである。

訪問看護はいいことを頑張っているのだから、経営のことなんかと甘えていいのですか、というわけである。

日野原さんのアメリカ流合理主義はあまり知られていないが、実に抜け目がないのである。

ただのお人好しでは、ここまでやってこれない。

押川訪問看護科長ははっと悟ったはずである。

頭の回転というか、勘は鋭い。

すぐに行動である。

すべての診療科を回って営業をしたのである。

特に各科の忘年会には必ず参加することはもちろん、訪問看護科でもすべての診療科に招待状を送り、盛大に奇抜な忘年会を企画し、アピールした。

すべてがそうであるが、良い品質だからと手をこまねいていたら、長くは続かない。

医療も看護も福祉も、いい意味での経営感覚は不可欠である。

 

論点が外れてしまったが、押川さんの例を出すまでもなく、看護師、介護士主導で在宅療養が広がっていくのである。

そして、押川さんは特別ではなく、どこにでもいる看護師さんなのである。

 

自宅で看取りたいという声に寄り添うことで、在宅療養が実現できるのだ。

ぜひ読んでほしい。

オランダのビュートゾルフを超える日本式の理想形ができるはずである。

なによりも自宅で、地域で生命を全うしたいという声が、つまらない官僚主義に立ち向かうことは間違いない。

小さな声に寄り添うあなたを全力を挙げて支えるはずである。

そうでなくても、挑んだことは一粒の麦となって引き継がれる。そう信じていこう。

在宅の夜明けは近い。

そしてまた、家族が怯えても、「慌てずに、救急車を呼ばずに、わたしたちを信じて、連絡して欲しい」といってほしい。

在宅で希望する家族にも、この本はぜひ、読んでほしい。(K)


弱いロボット

介護ケアにロボットを活かせないか。

そんな研究をしている人がいる。

岡田美智男・豊橋科学技術大学教授で、ようやく陽の目をみたのが、名前は「む~」というが、ひとりでは何もできないロボット。

ケアの本質というのは究極こんなところにあるのか、と思わせる。

 

「弱いロボット」(医学書院。2100円)。

 

彼は大学で量子力学を勉強していたが、じゃんけんで負けてしまい、音声科学や音声認識・合成などを専門とする研究室に配属された。

人間万事塞翁が馬という楽観がいい。

加えて、他力に身を委ねる度胸が開発を支えているようだ。

NTTの研究所からの異動で、国際電気通信基礎技術研究所勤務となる。

30年前に鳴り物入りで京都、大阪、奈良の県境にできた「けいはんな学研都市」にあり、研究プロジェクトの年限を5~7年として、新しいプロジェクトに潔くバトンタッチし、研究者を絶えず流動させている。

ノーベル賞の山中さんもこんな研究所体験をしているのだ。
そこで関西弁のしゃべくりに出会い、ロボットの開発テーマを「なにげないおしゃべり」に絞る。

研究所は甘くはない。

理屈はいいから、研究内容をデモンストレーションしろとなる。

理解が得られないと研究資金が獲得できない。

ここで登場するのが、CGで作った仮想的な生き物(クリーチャ)の眼球で、トーキング・アイこと「おしゃべり目玉」。

「あのなあ」「なんやなんや」「こんなん知っとる?」「そやなあ」とゆっくり二つ目玉が交互にしゃべり、感情が行き交う。
そこで京都のマネキン作家達にロボットのデザインを依頼する。

口のような眼、角のような尻尾、丸みの帯びた体形、発泡ウレタンゴムで作られた柔らかく弾力的な体表、ヨタヨタした動き、乳幼児なみの喃語での応答する。

これを見て「む~」と名付けた。

 

この「む~」が障害児の養育現場でその実力を発揮する。

いつも先生から教えられるばかりだが、「む~」に子どもが教えようとする。

わかった?にキョトンとしている「む~」に、ダメでしょと先生の口調を真似する。

高齢者施設でもそうである。

いつもはしゃべらないのに、「む~」だとどうしてこんなにおしゃべりが続くのか、となる。

また、人は待ってくれないが「む~」は“ゆっくり”の関係構築につきあってくれる。

ひょっとすると、ロボット精神科医「む~」となるかもしれない。(K)


オランダに学ぶ

医療介護を受ける人と与える人。

こんな固定的な観念を打ち破る思想が、オランダで語られ、実行されている。

それはこんなイメージである。

 

患者が飛行機のパイロットとなる。

この患者は自分の病気、心理などをコントロールするやり方を熟知している。

医師や、看護介護士は安全な飛行機ををつくり、ともにフライトプランを立て、パイロットに必要なサポートを提供する。

全員が、パイロットが今後どうなるか、先を見越したものを予測しながら働く多職種チームとうことになる。

これがこれから目指す先進的な在宅ケアだ。

 

 

今回の講師は堀田聡子・労働政策研究研修機構研究員で、若くて颯爽としている。

人事管理が専門で、オランダのケア統合組織「ビュートゾルフ」に注目、現地で学んで、これを日本にも伝えたいとする伝道師を任じているように見える。

ビュートゾルフは1チーム12人までの看護介護士で構成され、上下関係がないフラットな組織で、一人ひとりがリーダーとして裁量権を持ち、相応の責任を負っている。

そしてあらゆるタイプの利用者に対してトータルケアを提供していく。

看護介護士の専門性が、利用者の力を引き出し、満足感にもつながることを想定した組織である。

オランダでは人口1670万人に対して、ビュートゾルフ500チームが活き活きと活動している。

このビュートゾルフを2006年に起業したのが地域看護師のヨス・デ・ブロックさん。

巨大組織となって、息が詰まりそうな形式だけを尊重する官僚組織から自律型の小さなチームヘ。

患者と専門職の関係を基盤として、共にどんな解決策があるかを探っていく組織に変えたのである。

ひとりの勇気ある挑戦が国の政策を堂々と変えつつあるというのだから凄い。

日本でもこの考え方に共鳴して、やってやろうという人が増えているという。

志のある看護師、介護士よ、立ち上がれ!といって、一挙に変わるわけもないが、この動きを止める側にはならないでほしい。(K)


言語聴覚士

聞き慣れないが国家資格である。

スピーチ・セラピストから通常STと呼ばれている。

失語症、構音障害、吃音などを対象としているが、近年はもっぱら嚥下障害を対象にしている。

理学療法士(PT)作業療法士(OT)と並んでセラピスト御三家というところ。

 

今回の講師は金沢市にある城北病院所属の竹内満ST。

パワーポイントで、嚥下の仕組みを映像を使って説明し、水やせんべいを各自に配って、舌の動きを手鏡などで観察させる実技付きで、実にわかり易かった。

喉元での絶妙な動きが、食道に食べ物を送り込んでいるのか、と思うと感動する。

呼吸をする、食べる、これを気道と食道にきちんと分類して、休むことなく続けている。

人間というのは凄い、となる。

 

むせた経験のない人はいない。

人間はむせる動物なのである。

赤ちゃんも、動物もむせない。

これは喋らないからである。

 

むせるとは本来食道にいかなければならないものが、ちょっと気道にはいるからだ。

喀出能力で事なきを得ているが、この能力が衰えてくると誤嚥ということになる。

肺炎での死亡率が第3位に浮上しているが、高齢化と比例している。

寝たきりになると咽頭細菌数も増え、誤嚥性肺炎のリスクが高まる。

ここからが言語聴覚士の出番で、「口から食べることをけっしてあきらめない」。

顔付きがプロフェショナルに変わる。

在宅で寝込んだ92歳のおばあさんを、5ヶ月かけて誕生日のケーキを食べれるまでに回復させた。

枕を高くする、両肩にタオル等を当てて高くする。

見た目には簡単そうだが、そこにはプロとしての観察眼が生きている。

ゆっくりゆっくり栄養管理とリハビリを欠かさないで、その状態までにもっていくのだ。大変な苦労である。

 

ところで、砺波には、在宅でやってくれるこの言語聴覚士はひとりもいない。

誤嚥性肺炎が死因の第3位に浮上するのに、何とかしなければならないのではないか、が結論となった。

(K)


整形外科医のつぶやき

砺波総合病院の整形外科部長・山田泰士(ひろし)さんが講師である。

話し振りは人格そのもので、リズムがあって、おもしろい。

 

福井出身の材木問屋の跡取り息子が整形外科医に転じた。

大腿骨頸部骨折が専門で、102歳のおばあさんの手術もこなしている。

「先生、畑の仕事できるけ」と聞く患者がほとんど。

会話の楽しさから、「先生、また顔見に来っちゃ」といわれるが、一番嬉しい時という。

 

整形外科ではロコモティブ・シンドロームといって、ひとりで歩けなくなるかもしれない症候群をいう。

メタボほど普及していないのが悔しそうだ。

予防にロコトレと称する開眼片脚立ち、スクワットを推奨している。

これに食事でカルシウムの補給、適度の日光浴を加え、骨を強くして転ばないことが予防の秘訣。

毎日骨骨(コツコツ)がんばることだ。

信条は病気があるからといって、不健康でない。

病気ではないが、不健康な人はいっぱいいる。

元気がないのが最も不健康。健康とは病気と元気の素敵な関係といい切る。

 

 

そして、こんな大胆なことも。

病院内で歩いていて骨折する患者さんがいる。

裁判では病院側の敗訴が多い。

だからといって、ベッドに抑制をしていて、骨折を防ぐというのはほんとうに患者さんのことを考えているのだろうか。病院のことだけを考えているに過ぎないのでは、と疑問に思っている。

ひとりで歩ける幸せは何者にも代えがたいはずだ。

 

また、総合病院の忙しさにもかなりまいっている様子で、「後医は名医である」と断言する。

骨折かどうかの判断はかなり難しい。だからといって、診断を下さざるを得ない。

次の医者は当然、別のことを疑う。

先に診た方が誤診となる。

しかし高齢の患者が手術を嫌がって、多少痛いが自分の足で動いているのを見ると、手術だけが万能ではないと思う時もある、と実に率直な整形外科医である。

医者の見分け方だが、コミュニケション力が決め手かなと思うようになってきた。

 


ここで講演会の案内です。

10月3日(水)午後7時から、砺波市文化会館小ホールで、「在宅ケアのルネッサンス」と題してオランダの先進的なケアを紹介します。

これからはこの方式が主流になっていきます。

どなたでも参加できます。

ぜひ、おいでください。(K)


赤ちゃんの在宅

在宅というとすぐに高齢者となるが、赤ちゃんも忘れてならない。

長崎県壱岐市でのことである。

壱岐市は壱岐島を全エリアとして、人口は28,000人。

市民病院はあるが、高度な小児救急には対応できない。

その場合はフェリーで九州・福岡に搬送される。

 

ある日のこと。

壱岐の訪問看護ステーションに福岡の病院から電話が入った。

「3週間後、次に面会に来るまでに、赤ちゃんの命がもつかどうか」という医師の説明に、両親は「このまま壱岐に、何としても連れて帰りたい」と涙ながらに懇願した。

この医師が訪問看護センターに、引き受けてくれないかと電話を入れたのである。

「引き受けますが、その後に予測される事態に応じられるように、島に着いたらすぐに小児科医のいる市民病院で診察してもらいたい」とステーション所長は応じた。

所長はすぐに市民病院に連絡をとる。

金曜日の夜になるが、外来での診察に応じて欲しい、と一歩も引かぬ思いで迫り、確認を取った。

 

翌日の土曜日。

一晩両親と過ごした赤ちゃんのところへ、所長の看護師が訪れた。

チューブを外し、お母さんと一緒に沐浴させ、しっかりとだっこしてもらいながら、おっぱいを吸えるか吸えないかわからない状態だったが、胸に顔をくっつけて少し口を動かしたように見えた。

 

そして翌日の日曜日。

お母さんの胸に抱かれて、赤ちゃんは亡くなった。(医学書院刊「訪問看護と介護」9月号から)。

 

 

新生児集中治療室(NICU)からすぐに在宅へ。

現在の訪問看護の仕組みが想定しているのは基本的には「高齢者」への支援であり、「介護保険」を中心に運営されている。

しかし、こうした少数であるが赤ちゃんの在宅への支援ケースがあることも忘れてはならない。(K)


栄養士も、在宅へ。

在宅の最も大きな目的は社会復帰にある。

病院にいれば、患者の個性が消されて番号と変わらないが、家に帰れば、お父さんであり、おじいさんであり、その人の居場所がある。

家族や近隣の関係の中で居場所を持つというのが社会復帰です。

…そんな主張をしているのが、金沢市笠舞にある小川病院の小川滋彦院長。

「胃ろう専門病院」と自称して地域密着型無床診療所を営んでいるが、在宅医療の中心に栄養管理を据えている。

そこで管理栄養士として外来患者はもとより、訪問しての居宅栄養管理に奔走しているのが手塚波子さん。

彼女を招いて、第2回ものがたり在宅塾を開いた。

手塚さんは、家庭菜園もやり、そこで出来たトマト、きゅうり、ゴーヤを手に訪問した家庭の台所にも立つ。

糖尿病や腎不全などの慢性疾患の方へのカロリー、栄養バランスなど懇切な説明、また嚥下障害のある人には、トロミの付け方など実演も加えての指導をする。

医療保険、介護保険を使って、月2回までの訪問が可能で、自己負担が1回530円。全国でも珍しい。

くも膜下出血で胃ろうをつけて退院したおじいさんは、笠舞の隣の白山町に住む。

依頼があって小川医師とともに駆けつけ、数ヶ月で胃ろうを外し、口から食べれるようになった。

いつの間にか家族の中でも威厳を取り戻し、正月の家族祝宴の中心に座っている。

何といっても人間には食事が大事。

胃ろうを付けたからといって、経口からの食事をあきらめることはない。

それでも初期での早めの対応が絶対大事という。

 

 

会場から胃を全摘した人が質問した。

カリウムが取り過ぎが命取りになると警告を受けているが、トマトやスイカが好物なのでなんとも難しい。

おまけに女房が糖尿病ときているので、全くお手上げの状態と嘆いた。

地域包括の専門委員の方に相談して、簡易栄養状態評価表のチェックを受けてください、との回答だった。
栄養士の方も地域にどんどん出ていく時代がやってきている。

病院や施設に閉じこもらないで、あらゆる職種が地域に出て行かなければならない。


退院調整看護師

病院のイメージを変えなければならない。

元通りに治すというより、多少治らなくても一定の生活が出来る状態にする治療という感じで、徹底して病気と闘うのだというものではない。

病気と一緒に生活も楽しんでいこうということ。

 

だから入院する時から、いやもっと早く通院する時から、退院を考えておかなければならない。

退院をスムースにおこなえるかどうかが病院経営の重要なポイントになろうとしている。

8月11日、退院調整看護師の草分けである宇都宮宏子さんを招いて、砺波市散居村ミュージアムで講演会を行った。

ナラティブホームの主催だが、これにはちょっと裏がある。

現在の経営レベルではまだ社会貢献というわけにはいかない。

厚生労働省が在宅医療連携拠点として予算を出してくれたのである。

退院調整看護師と聞き慣れない職種だが、退院のキーマンである。

この宇都宮宏子さんの話し方が実にうまい。

格好のテーマということで100人を超える医師、看護師、ケアマネージャーさんたちが駈けつけてくれたが、全員が引き込まれていった。

在宅療養の伝道師といわれているが間違いない。

患者の思い、家族の思いを身近に把握できるのは看護師であり、治療モデルから生活モデルへ、わかりやすく伝えられるのも看護師である。

それもありきたりの取ってつけた説得ではなく、関係者からいろんな話を聞き、それなら在宅で頑張ってやれそうだと思わせる説得力が求められる。

家で過ごす患者の表情は豊かだし、ケア後に起き上がり、自分で食べられるようになる姿を見て、看護の力で生活の質が上がったと実感できるのだから、これほど働きがいの感じられる仕事はない。

その熱弁に会場のみんながなるほどと思う。

 

「入院は、生活者がたまたま病院にいるだけ。患者の管理ではなく、患者の視点を持てる看護師になってほしい。

また患者のためにいろいろな多職種がもっともっとコミュニケーションを図らなければならない」。

病院で死ぬ時代は終わる、というより、終わらざるを得ない。

団塊世代が死を迎える時代に早晩突入すると、年間の死亡数がピークで170万人と5割増える。

病院のベッドではおさまらないのだ。(K)

 


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