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緩和ケア認定看護師誕生

お知らせでもあります。

わがスタッフが緩和ケア認定看護師の資格を取得しました。

 

砺波市では二人目です。

認定看護師とは、98年に日本看護協会によって制定された資格認定制度のひとつです。

認定看護師認定審査に合格し、ある特定の看護分野において、熟練した看護技術と知識を用いて、水準の高い看護実践のできる者をいいます。

その中でも緩和ケア認定看護師は、

(1)徹底した苦痛症状の緩和及び療養の場に応じた患者・家族のQOLの向上を図り、

(2)患者・家族のグリーフケアを行います。

通りいっぺんの説明ではこうなりますが、この道の先駆者である秋山正子さんは訪問看護師のあるべき姿をこういいます。
「自立した看護師として、医師ともフラットな関係の中で自分たちの専門性を活かした働きをすること。もちろん特に在宅であれば、自立性だけではなく協調性が必要です。いわばおとなであること」。

 

病棟の看護師であれば、いつもそばに医師がいて指示を受けられるが、在宅の場合は状態に変化があった時など、的確に判断し、医師に連絡を取らなければならない。

時には医師に、処方の選択肢を提案することだってあり得る。

もっというと、優秀な、それでいて気さくな看護師は、医師にとっても、患者にとっても鬼に金棒だということ。

そんな金棒看護師がわが法人に誕生したのです。

というわけで、うれしいニュースをお伝えしました。

(K)

 


「ものがたり在宅塾」開講

砺波市庄東地区での「ものがたり在宅塾」は、今年で3年目となります。

 

ものがたり診療所庄東の開設がきっかけになったのですが、在宅とは何か?を初歩から学んでいこうというものでした。昨年の参加者は平均で60人を超えています。

典型的な過疎と超高齢化が進んだ地域ですが、とても地域のつながりが強く、これを生かしながら、何とか自分たちの力で「この町で、この村で、最期まで暮らしていく」ことを目標に掲げました。

学習からどう運動へとつなげていくのかが、今年の課題です。

 

 

もちろんこの地域以外からの参加も大歓迎で、マンションで最期は嫌だからと空き家を買い求めて移り住む方も出ています。

そこでは誰もがちょっと立ち寄れるカフェがオープンします。

どんな展開となるのかとても楽しみです。

 

なお、 今回の日程、テーマ、講師名はこのホームページに掲載されています。ぜひ参加ください。


あいそんない

「じいちゃん、あいそんなかろ?」

「いつも畑しておられっが見とったから、あいそんないちゃ。」

 

7月6日特定健診を巡回診療として、砺波市栴檀山農村改善センターで行った。

そこで交わされた会話である

このじいちゃんは最近、連れ合いを亡くしている。

 

「あいそんない」とは「さびしい」「ものたりない」という富山弁。

そばで聞くわれわれにも、そのわびしさが伝わってくる。

全員が顔見知りで、保険証を忘れたと聞けば、世話役が車で自宅まで取りにいってくれる。

それでも受診者は昨年より少ない。

亡くなったり、衰弱が一段と進み、来られなくなっているのだ。

148世帯490人の村が、10年後どうなっているかは簡単に想像できる。

 

富山市に代表される街中居住を推進するコンパクトシティ構想は、こんな集落の衰退に一層拍車をかけることは間違いない。

富山から車で20分、新緑の山あいを縫っての早朝ドライブだが実に気持ちがいい。

宮崎駿の映画に出でくるような風景である。

山すそに小さな畑があり、立ち葵がウエルカムといって立っているような気分だ。

 

ここでの楽しみは仕事を終えてから、「清水そばそば峠」に立ち寄ること。

午前11時から午後2時までの営業で、おばちゃんたちが自らそばを打っている。

限定の「十割そば」(1000円)もうまいが、「雉そば」(700円)が気に入っている。

雉肉のはいっただし汁が何ともいい。蕎麦湯でゆっくり味わうのが至福の時となる。

 

清水そばそば峠

 

ところで、都会に住むわが団塊世代は、この年齢で東京に住むのはきついとこぼしているが、セカンドハウスとして10年限定で賃貸し、晩年を別荘田舎暮らしですごすのも悪くはないと思っている。

交流人口で少しでもこうした限界集落が生き延びてくれたら、いいのだが。

 

(K)

 


道後温泉「坊ちゃんの郷」

愛媛県は松山からの来客である。

在宅を中心にへき地診療もやる「医療法人ゆうの森」代表の永井医師を中心に5名の方が、アパホテル砺波に2泊というスケジュールで来訪された。

 

永井医師は1999年にひとりで在宅を立ち上げた。

いわば大先達で、加えて「たんぽぽ先生の在宅報酬算定マニュアル」を自ら執筆されている。

ナラティブでも5冊購入し、テキストとしてスタッフは傍においている。

そんな先生ゆえに、どう対応したものか思い悩んでいたが、会ってみるとがっちりした体格の47歳、精気が満ち溢れている。

 

来訪の目的は、看取りまでできる高齢者住宅を建設したいので、「ものがたりの郷」を参考にしたいというもの。

でもこんな時は、こちらが参考になることがとても多い。

喜んでということで、一日行動をともした。

厳しい質問もあるが、そこは同業、当方のいたらない点も率直に申し上げた。

砺波、庄川、井波と観光もかねて十二分な交流となった。
そんな具合で、もちろん夜の懇親会である。

そこでは5人ともリラックス、フリートーキングで夢を語り合った。

 

「道後温泉の診療所を組み込んだ高齢者住宅がいい」

「そうすると、坊ちゃんの郷ということになるね」

「そりゃ、いいわ。絶対に受ける」

「愛媛出身の団塊世代で、東京、大阪で活躍し、老後は故郷でと思う人は多いかもしれない」

「でも、このネーミングだと全国から集まると思う。俳句趣味の人も多いから、全国シニア俳句選手権なんかも、この際いいのでは」

「建設だけど、ものがたりの郷みたいに不動産に投資したい企業もあると思うから、われわれで建てなければならないこともないんじゃないの」

「そりゃ、いい意見だ。銀行筋にさっそく打診してみる」。

…という具合に、とんとん拍子に話が進み、「道後温泉坊ちゃんの郷」がまるで決まってしまった。

こんな話を聞いていると、「田舎の勉強、京都の昼寝」ということわざを思い出した。

旅に出ることで、頭の中がとんでもない活性化状態になり、奥底からいいアイデアが飛び出してくる。

 

みなさん、行き詰った時は、書を捨て、旅に出るべし。(K)

 


在宅ひとり死

70歳以上に限ると、がんで死ぬか、心臓麻痺や脳梗塞で死ぬか、あるいは誤嚥性や感染症による肺炎で死ぬか、の3つにひとつ。

 

何ごともなく老衰となれば、ほとんど認知症を伴っている。

最近では、選べるならがんで死にたい、いうのが常識。

そんな思いのところに、家族のいないひとりでも、自分の家で死ねますという本が現れた。

格好の手引書といってもいい。

 

「小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?」(朝日新聞出版)。

上野千鶴子の質問に応える形で、次々と眼からうろこの解決処方を提示してくれている。

答えているのは小笠原文雄(ぶんゆう)医師。

48年生まれで、岐阜県羽島市で開業している。

ぶんゆうと読ませることでわかるがお寺の住職でもある。

坊さんだからというわけではないが、事にあたっての柔軟さは説得力があり、なるほどと思わせる。

例えば、夜間セデーション。

痛みや急変を心配してまんじりともできない夜の不安が解消される。

「今日の治療指針2012」で認められている方法で、睡眠薬の力を借りて夜間は深い眠りに入り、朝が来る頃に薬の力が切れて自然と眼が覚める。

眠っている最中に亡くなる場合もあるが、その原因はセデーションにあるのではなく病状の変化による、とあきらめなさいといっている。

これなら夜間に看護や介護の人を煩わせることも必要ない。

 

これに尿道留置カテーテルを挿入すれば、鬼に金棒?となって、夜8時間余の安らかな睡眠が得られる。
過剰医療だ、おむつ交換の手間をかけないケアは非人道的、家族ならおむつ交換できてあたり前と批判する声もあるが、おひとりさまにとって贅沢はいえない。これならひとりで死ねる、というものだ。

 

 

もうひとつ、在宅ホスピス緩和ケアを選択すれば救急車を呼んではいけない。

もし病院に運ばれたならば、本人の意思とは関係なく、死を回避するあらゆる延命治療が強制的に行われていく。

最期は自宅で穏やかにという希望とは裏腹に、呼吸が止まっていたら人工呼吸器が付けられ、過酷な闘病生活を送らなければならない。

救急車を呼ぶな!

かかりつけ医か訪問看護師に連絡するという意思を明確に周囲に伝えておき、万一救急車を呼んだ場合は、救急隊員に正直に謝り、帰ってもらうことである。

 

「在宅ひとり死」は孤独死ではなく、「希望死・満足死・納得死」であるという説得が何となく胸にすとんと落ちていく。

ぜひ読んでほしい。(K)

 


ロゴセラピー・ゼミナール

「夜と霧」という本をご存じだろうか。

 

ユダヤ人ゆえに、それまでの普通の生活が突然断ち切られ、ドイツに幾つもあった強制収容所に押し込められて、労働に適さないものはガス室に送られた。

ナチスの信じられない残虐非道な大量殺戮である。

そんな過酷な試練を生き抜いた心理学者・ヴィクトール・フランクルがその体験を描いた。

日本で翻訳出版されたのが56年。

ベストセラーとなり、今また東北の被災地でちょっとしたブームとなり売れ出しているという。

 

多くの肉親、友人、知人を失い、故郷からも切り離され、賠償も全く進まず孤立感のみが深まる仮設住宅の状況は、ナチスの強制収容所での絶望と変わりないのかもしれない。

そんな被災者が、それでも生きていかねばならない、と思い直す何かを、この本はもっているということである。

「人間は誰しも心のなかにアウシュヴィッツを持っている。でも、あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに期待することはやめない」。

こんな言葉が静かに、生きる一歩を進めさせているのかもしれない。

 

一度紹介した精神障害の人たちが街中で暮らす「浦河べてるの家」も、この本とは無縁ではない。

べてるの家を立ち上げたソーシャルワーカーの向谷地生良(むかいやち・いくよし)は、「にもかかわらず生きる」の一言にこれだと反応して、手がかりを得た。

また、TBSのキャスターであった斉藤道雄は、オーム真理教の教団幹部に放送前のビデオを見せていた事件でひとり謝罪し、社内で孤立していた時に、精神障害者の取材を通してべてるの家に辿りつく。

力作「悩む力 べてるの家の人びと」に通底するのはフランクルである。

 

もうひとつ、フランクルが始めた心理療法で、ロゴセラピーがある。

人が自らの「生の意味」を見出すことを援助することで心の病を癒す手法で、ターミナルケアやホスピスの基本的な考え方として世界中いたるところで適用されている。

ロゴセラピーを推進している勝田茅生(かつた・かやお)がロゴセラピーゼミナールを8月3~4日金沢で開くという。
これは看護の現場で患者を扱う医師や看護婦、介護やホスピスのボランティアなどをされている方々にとって大切な知識であるばかりでなく、人生で避けることのできない自分自身の「死」と対決するためにも、必要な観点です、と説得されている。

どうするか、参加を迷っている。(K)


医療にたかるな!

「過剰医療」がこの国の未来を喰いものにしている、と啖呵を切っているのが村上智彦医師。

ご存じ財政破綻した夕張市の、あの夕張市立総合病院の病院再生にひとり乗り込んでいった医師である。

その経緯を本にしてまとめた。新潮新書「医療にたかるな」680円。

 

喧嘩口調が小気味いい。

恥知らずな高齢者たちよ、医療を受けるのであれば応分の負担をしろ!弱者の切り捨てだという批判はあたらない。

金融資産のほとんどをあなた方高齢者が持っている。

若い世代がどんな状態か今更いうまでもないだろう。

膨れ上がる医療福祉のツケをそんな若者に任せて、自分だけは逃げ切ろうというのはエゴイズムというものだ。

恥を知れ!

更に続ける。

夕張総合病院を公設民営のベッドなしの診療所として引き受けることにしたのに、当事者である夕張の態度はどうだ。

市は破綻したので一文も出せないという。

仕方がないので1億2000万円を個人保証で借りて運転資金とした。

ところがどうだ。

行政も市民も、現状を維持しくれるお人好しがやってきたと、やれ出す薬が少ないの、この病人を預かってくれ、スタッフも悪しき公務員意識にあぐらをかいて年功序列当たり前、組合が守ってくれると抵抗勢力に、一方行政も予算がないから膨大に罹る暖房施設はそのままでやってほしいと、まるで既得権であるかのように振舞う。

まるでたかっている。

病院の累積赤字31億円、毎年の垂れ流し赤字が3億円。

誰が悪いのかといえば、政治もそうだが、市民ひとりひとりの責任でもある。

夕張市民の非常識、ここに極まれり、と切って捨てる。
そして、医療者にも。

 

「患者の安全のため」と称して「責任逃れ」をやっていないか。

特に最近は何かあるとすぐに訴えられるので、少しでもリスクを回避しようと、本来プロとしてやらなければならない仕事や判断さえ、他人に丸投げしようとする医療者が多い。

また看護師もそうで、医療判断でもない事柄でも、これは仕事の範囲外と医師に丸投げしている。

プロとしてしての自覚、覚悟がないと、限られた医療の人的資源ではやっていけない。

とにかく、痛快な本である。ぜひご一読願いたい。

 

ところで、この村上医師はわが理事長の友人で、薬学から医学に進んだ同じ経歴をもつことからウマが合うらしいのだ。

この本もそういうわけで贈呈され、本棚にあったのを盗み読んだ次第である。(K)


介護民俗学

いろいろな人が介護の世界に入ってきてほしい。

介護の豊かさはこれに尽きる。

 

介護資格にこだわっていては、生かされているだけでいいだろうという薄っぺらなものになる。

持論ではあるが、現実はなかなか難しい。

 

でもこの不況下、いろいろな若者が苦しみながら、何かをつかみたいともがいている。

民俗学者でもある六車由美さんがそうである。

大阪大学で民俗学を学び、東北芸術工科大学の准教授の座を投げ打って介護に世界に飛び込んだ。

その経緯は彼女が著した「驚きの介護民俗学」(医学書院刊)でも明らかにしているのだが、働く老人ホームが民俗学の貴重なフィールドに見えてきたのである。
村に出向いた調査では直接会うことができなかった大正一桁生まれや、明治生まれの利用者が、まだらになっているがその鮮明な記憶を語り、歌ってくれるのである。

それはテーマ無き聞き書きだが、民俗情報の宝庫であることは間違いない。

 

例えば、漂流民はメインテーマであるが、敗戦後の電力普及の過程で、ダムに近いところから各村々に電線を引く作業員は、家族を帯同してグループを組み、10人前後で移動して仕事を続けた。

村が用意してくれて家屋での共同生活で、子供たちは滞在中の村の学校へと通い、食事は奥さんたちが共同で賄った。

昭和40年くらいまでの20年余り、定住することはなかった。

その間、仕事は絶えることはなく、給料も驚くほど高かったという。

現代の漂白民のひとつの生き方だったのである。

そんなことを間近いところで聞いた六車は驚きの連続であった。

もう民俗学の宝の山ではないか、何ともったいないと思った。

 

現在置かれている民俗学を学ぶ若者たちはどうか。

その専門性を生かせる博物館、資料館の学芸員の枠はあまりに狭く、研究と生活が両立しない。

例えその職を得たとしても、そこの息苦しさは想像以上であろう。

 

一方で、民俗調査で鍛えられた若者が介護現場でやれることはいっぱいある。

何よりも聞いてあげるという行為ではなく、聞かせていただくという姿勢が、介護する側と介護される側の対等な関係が作り出せるのではないか。

もちろん問題を挙げれば切りがない。

介護職場は個人情報保護や、感染症の問題などで、極めて閉鎖的である。

それでもだ、そんなマイナスを差し引いても、余りあるプラスは大きいと思う。

記憶に残したい多くのものが残せるのである。

 

誰しも語り尽くして、自分の命を全うしたい。

傾聴といってただ聞くだけでなく、記録に留められるというのは素晴らしいことだ。

後世でひょっとして役立つと思えば、とてもありがたいことでもある。(K)


3月2~3日シンポお礼報告

最大のイベントが終わった。

肩の荷が降りたというより、またちょっと重たい荷物を担がされたという感じである。

 

佐藤理事長の強い思い入れで、ナラティブの理念をここまで支えていただいた人たちを招いてのイベントであった。

イベントに慣れないスタッフにとっては、気の重いものだったが予想外の成果で、とてもうれしい。

 

2日の砺波平安閣には250人に及ぶ市民の人たちが駆けつけ、3日は富山大学、砺波総合病院、地元開業医の先生たち含めて98人の質の高い多職種連携となって実を結んだのである。

雪降りしきる中、ご参加いただいたみなさん!ありがとうございました。

 

先頭を切ってもらった民俗学の新谷先生の話が参加者のハートを鷲づかみにしたようだ。

民俗学的な視点の面白さでもある。

時代の変遷だが、分かれ目は昭和50年で、地域、家庭における風景が戦前の残り香を残らず消し去ってしまったといっていい。

専従主婦は消えてしまい、一家総働きで支えないと生活が立ち行かなくなり、加えて地域のつながりも薄くなり、伝統的な葬儀が維持できなくなった。

親族、隣近所、職場同僚がみんな集まって行われた葬儀が消えたのである。

民俗学の凄さというのは、消えたそれらを遺そうとするひたむきな努力にある。

写真に撮られた新谷先生の故郷である広島の懐かしい葬儀風景が映し出された。

広島の浄土真宗門徒・安芸信徒による葬儀風景だが、懐かしさで胸がいっぱいになる。

 

席上指摘されたことでもあるが、インターネット上で記録されたものが果たして遺るのだろうか。

カセットテープがそうであるように、急速な技術進歩はその再生技術をも古くて捨て去るものにしてしまう。

恐らくその検索技術もそうだが、誰でも発信するものはホンモノニセモノの判別も困難にして、遺らないという結論になった。

 

3日の会議もそうだが、ナラティブの理念や実践がどこまで継承されるのかという懸念が取り上げられた。

われわれスタッフの肩に乗せられたのが、この問題である。

持続可能なナラティブホームにするために、どのようなことをすればいいのか。

肩に荷は重い(K)


福井・オレンジホームケアクリニック訪問記

閉じこもっていると、視野がどんどん狭くなる。

「田舎の学問より京の昼寝」というが、これは正しいと思う。

というわけで、我々より1年遅れて開業した福井のオレンジホームを訪ねた。

 

在宅医療専門で、外来はやっていない。

福井駅から車で5分ぐらいの街中の2階建てを借りて、1階は駐車場で、2階がワンフロアぶち抜きのオフィス。

入った感じがデザインルームのように感じた。

医療福祉という気がしない。これが在宅といえば、そういえる。

 

 

真ん中の大きなテーブルを囲んでのミーティング中で、緊張感が漂っている。

スタッフは医師が4名で、紅谷代表、女医さん、研修医2人の構成。

看護師は7名。

SW(ソウシアルワーカー)が3名。

メディカルクラークと呼んでいる事務が5名。

そして何とプロデューサーと称する専務か常務にあたる人がいて合計20名。

みんな若い、そしてITに強そうという印象である。

 

 

福井市内中心に約200人がここの在宅を利用している。

全員が利用者の情報を共有して、誰が電話に出ても、対応ができる体制となっている。

ここのプロデューサー氏が医療福祉とは無縁のIT、営業などのキャリアの持ち主で、ここの開業に駆け参じ、全体をまとめている。

確かにフットワークがよさそうで、構えている専務、常務ではない。

何度も指摘しているが、この業界はいろんな人材が入ってきて、改革をしていかないとうまくいかない。

彼の場合は独自ソフトを開発して、例えばカルテ入力なんかで効率化を図っているし、女性が働き易いように労働条件なども柔軟な運用とし、職場環境なども改善を図っている。

すべてがうまくいっているわけではないが、試行錯誤を繰り返しながら、とにかく前に進もうという気概が見て取れる。

 

 

結論めいた感想だが、女性の能力を最大限に活用するシステムを改善し続けること、加えてコンピュータ技術を駆使してコミュニケーション能力を高めることが決め手になるような気がした。

 

もちろんその前に、人間らしい豊かな感性を磨くことが最も大切なことは言わずもがな、である。(K)

 

大切な「命」「いのち」を守ります。
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